波乱万丈!10年かけて渡来した鑑真『唐招提寺』(奈良市)

奈良県

奈良時代に創建された唐招提寺は、教科書でもおなじみの僧侶・鑑真(がんじん)が建立した寺院。唐の国の僧侶である鑑真が海を越えて日本に渡るには、数々の困難が待ち受けていました。

2021/9/19(日)

鑑真が開いた寺院

奈良時代に平城京を中心に栄えた6つの宗派・南都六宗のうちの一派・律宗の総本山である唐招提寺。聖武天皇に招かれ、唐の国より渡来した僧侶・鑑真が修行の道場として759年に建立した寺院です。

こちらが拝観受付を行っている南大門。修行の場として開かれた寺院であるためか、もしくは律宗の教えによるものなのか、非常に素朴な外観。

きらびやかな装飾やカラーリングなどはありませんが、重厚な門構えからは逆に荘厳さを感じます。

荘厳な金堂

門をくぐるとすぐ目の前には大きな金堂。奈良時代に造られたものが現存しており、国宝にも指定されています。南大門と同様に装飾は控えめ。屋根の両端に置かれた鴟尾(しび)も、金ピカだった薬師寺とは異なり瓦と同系色に抑えられています。

金堂の正面には、8本の柱が立ち並ぶ。よく見ると中央部が少し膨らんでおり。日本では「胴張り」と呼ばれていますが、ギリシャの神殿におけるエンタシスと同じ構造。遥か遠くギリシャの建築がシルクロードを越えて伝わってきたと考えられています。(※1)

堂内には奈良時代に造られた本尊の盧遮那仏坐像、千手観音立像、薬師如来立像など、重厚な仏像が並びます。3mという大きさもさることながら、精巧につくられた仏像群に圧倒されます。

※1 実際のところ、日本とギリシャ以外ではこの構造の柱は見ることができないため、この考えは誤りという説もあります。

平城京の遺構

同じく国宝に指定されている講堂。堂内には、奈良時代の弥勒如来坐像や、増長天立像が並びます。

こちらはかつて710年に開かれた奈良の都・平城京の建築「東朝集殿」を移築したものです。

さらっと書きましたが、平城京はその後、長岡京、平安京と遷都が行われるに従い農地へと変わっていくため建築物は全く残っておりません。この建築は寺院の境内であったため、取り壊されることなくそのまま維持されてきました。そのため、現存する唯一の平城京建築という、非常に貴重な建物なのです。

鑑真和上御廟

境内の奥には、鑑真が眠る墓所である開山御廟があります。御廟までの道は、木立に包まれた爽やかな参道。空気が澄んでおり、なんとも心地よい空間です。

参道のまわりにはグリーンの苔が敷き詰められた庭園が広がります。苔の種類がわからなかったのですが、なんだか妙に艶やか。ベルベットのように輝き、質感もフカフカしております。

こちらが御廟。唐からやってきた鑑真は、ここ奈良の都にて76歳の生涯に幕を閉じます。鑑真が入滅された763年より、1,300年以上に渡り参拝が続けられているそう。

鑑真の来日

なぜ鑑真は日本にやってきたのか。それは、正しい仏教の戒律を伝えるためでした。

当時、日本を治めていた聖武天皇は、仏教の力で国を守る鎮護国家の思想のもと、日本各地に多くの寺院を建立しました。しかし、その度、民衆には思い税がかけられます。

僧になれば税から逃れることができるため、脱税目的で僧になる者が増え、日本の仏教は乱れていったそう。そんな日本の仏教を救うため、本場の唐から呼び寄せられたのが鑑真なのです。

交通網が発達した現代において、日本と中国はそれほど遠く感じません。しかし、航海技術も発展していなかった当時、海を渡ることは命がけの行程でした。また、そもそも唐から出国すること自体も禁じられていました。そのため、何度も失敗を繰り返します。簡単にまとめると、こんな感じです。

1回目:密告により中止
2回目:強風により難破
3回目:密告により中止
4回目:密告により中止
5回目:嵐によって漂流
6回目:ついに成功

密告というのは鑑真の渡航に反対する弟子によるもの。自分の師が危険を冒して日本へ行くことを阻止するための行いでした。

さらに5回目の失敗の際に失明しており、6回目で成功したときには66歳という高齢でした。
何とかたどりついた鑑真は、東大寺に戒壇を築き、聖武上皇や孝謙天皇、そして多くの僧に戒を授けます。東大寺にて5年過ごした後、唐招提寺を創建。その4年後に息を引き取ります。

来日を決意した動機

さてさて、このストーリーを見て最初に私が感じたのは、なぜそこまでして日本へ行こうとしたのかということ。記述を読んでいると「弟子が誰も行きたがらなかったので自ら赴いた」とありますが、これを動機と呼ぶのはちょっと不十分。

「情勢が不安定だった唐の国から亡命を望んでいた」という推測もあるようで、これは動機としてはかなり納得できるもの。しかし、唐が大きく乱れる安史の乱は755年のできごと。渡航チャレンジ期間の743~753年はそれほど乱れていたという感じでもなさそうです。また、命を懸けて、さらには失明してまでも渡航するほどのメリットがあるとも考えにくい。

結局のところ、「正しい仏教を伝えなくてはという責任感」が彼を突き動かしたと考えるのが一番自然に見えます。1,300年前の人物の心情を推測するのは非常に難しいですが、歴史に名を残す名僧には人並外れた信念が備わっていたのでしょう。

アクセスと見学所要時間

近鉄橿原線の西ノ京駅より徒歩10分。車の場合は第二阪奈道路の宝来ICより10分ほど。

駐車場は有料で「60分550円、以降30分ごとに110円」となります。定額では無いため、長期間駐車には不向き。もしゆっくり過ごすならば、薬師寺の駐車場(1日500円)に停めて、徒歩でめぐってみるのもおすすめです。

見学所要時間はさらっと見るだけなら【30分】程度でも大丈夫。屋内に入れる場所はほとんどなく、爽やかな木立の中を散歩しながら拝観するような寺院でした。

拝観時間 8:30~17:00
料金 1,000円
公式サイト https://toshodaiji.jp/

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