上野に散らばった諸堂めぐり『東叡山寛永寺』(上野駅)

東京都(23区)

かつて広大な境内を持っていた寛永寺。清水観音堂、不忍弁天堂、上野大仏、東照宮、そして根本中道と上野公園に点在する諸堂をめぐりました。1つ1つが独立した寺院といっても良いほど見ごたえがあります。

訪問日:2020/6/19(金)

江戸の巨刹・寛永寺

徳川秀忠が上野の地を天海僧正に寄進したことから開山された寺院。東の比叡山ということで「東叡山」の山号を持ちます。

京都周辺の神社仏閣に見立てる「見立て」という思想のもとで造られており、京都の清水寺や琵琶湖の宝厳寺など、様々な神社やお寺をモチーフにした伽藍が建てられます。

増上寺とともに徳川家の菩提寺として栄え、江戸時代の全盛期は今の上野公園全域を含む広大な境内を持つ巨刹でした。しかし、幕末戊辰戦争にて多くが焼失。さらに明治政府により解体され、東京大空襲により多くの伽藍が焼失。現在では、上野公園内とその周辺に諸堂が点在する形となっています。

点在する石碑の数々

上野公園内には、寛永寺にちなむ様々な像や石碑が点在しています。1つ1つ由来を記した案内板が設置されているので、それを読みながら巡ってみるのも楽しいです。

「彰義隊の墓」
幕末、徳川政権を支持する人々が集まり結成された彰義隊。上野戦争では新政府軍と激しい戦いを繰り広げますが、壊滅してしまいます。生き残った隊士により、火葬場であったこの場所に墓が建立されました。

「王仁博士碑」
5世紀初頭に百済(くだら)より日本に渡ってきた王仁(わに)という人物の記念碑。日本に論語と千字文を伝えとされています。

「天海僧正毛髪塔」
寛永寺の開山である天海の供養塔。108歳で亡くなった天海は日光に葬られましたが、寛永寺にも供養塔が建てられました。気になる毛髪塔という呼び名ですが、毛髪を納めたためそう呼ばれるようになったそう。

絶景の舞台造り「清水観音堂」

京都の清水寺より遷座された千手観音を奉るお堂。堂内に入ることはできますが、本尊は秘仏のため通常は非公開です。年に一度、初午の日に御開帳されるそう。

目を引くのは、この舞台造り。その名が示す通り清水寺をモチーフとしており、小規模ながらも不忍池を一望できる絶好のロケーションに建っています。

舞台から見えるのは、輪っか状に整えられた松の木。真ん中を覗くと、不忍池に浮かぶ不忍弁天堂が見えます。

これは「月の松」と呼ばれており、歌川広重の名所江戸百景にも描かれた、由緒ある松なのです。

今も現役な「時の鐘」

精養軒のすぐ近くにある時鐘堂には、時の鐘が吊るされています。時計という道具が普及する以前、鐘による時報は庶民に時間を知らせる重要な役割を持っていました。

江戸の町にはいくつもの鐘が設置されていましたが、この寛永寺の鐘もそのうちの1つ。現在も、6:00/12:00/18:00と1日3回撞かれています。上野の町に響き渡る音色は、環境省が選んだ「日本の音風景100選」に「上野のお山の時の鐘」として登録されています。

不忍池の真ん中に建つ「弁天堂」

ハスで埋め尽くされた不忍池に浮かぶように建つお堂では八本腕の弁財天を祭っています。

境内には、フグ塚やスッポン塚、めがね之碑など、様々な石碑が集まります。詳しくはこちらの記事にまとめました。

ユニークな石碑と限定公開の聖天島『不忍池辯天堂』(上野駅)
上野公園に広がる不忍池に浮かぶように建っています。8本腕の弁財天を祀るお堂の周りには、めがね塚やフグ供養碑などユニークな石碑が並びます。ディープにここを味わうには月に2~3回ある巳の日がおすすめです。

顔面だけの「上野大仏」

上野公園内の大仏山には、上野大仏が安置されています。そのお姿は、なんと顔面だけ。様々な苦難を越えた結果、このようなお姿に変わってしまいました。

詳しくはこちらの記事にまとめてあります。

顔だけで残る『上野大仏』&異国を感じる『パゴダ』(上野駅)
上野に大仏様がいるってご存知ですか?そのお姿は、仏頭ですらない顔面だけ。このような姿になった背景には幾多の困難がありました。隣接するパゴダも独特な雰囲気が出ています。

黄金に輝く「上野東照宮」

キラキラと輝く社殿が美しい東照宮。様々な動物が彫られた透塀や、諸大名から奉納されたおびただしい数の灯籠など見どころも多い神社です。

詳しくはこちらの記事にて。

ゴールドの社殿とアニマルレリーフ『上野東照宮』(上野駅)
徳川家に縁の深い東照宮は、金色に輝くゴージャスな社殿を持ちます。透塀に彫られた動植物や立ち並ぶ青銅鳥居など、わかりやすい見どころも多いです。

2人の大師を奉る「開山堂」

寛永寺の開山である慈眼大師こと天海を奉るお堂。合わせて慈恵大師こと良源も奉っているため両大師堂とも呼ばれています。

良源は優れた法力の持ち主。鬼に化けることができたため、角大師とも呼ばれています。詳しくは比叡山延暦寺の記事にて書いています。

六大将軍が眠る「歴代将軍御霊廟」

徳川家の菩提寺でもある寛永寺には、歴代将軍の霊廟が存在しています。4代家綱、5代綱吉、8代吉宗、10代家治、11代家斉、13代家定と全部で6名が眠っています。

霊廟は明治維新後に解体されたり、東京大空襲により焼失してしまいましたが、残っているのがこの徳川家綱霊廟勅額門。フェンスがあるため近づくことはできませんが、精巧な細工がなされている様子は遠目にも見えます。

寛永寺の本堂「根本中堂」

比叡山延暦寺を模して造られた寛永寺、かつては常行堂や法華堂など延暦寺と同じ伽藍が多く建てられていました。この根本中堂は、本坊から遅れること70年後に建てられた寛永寺の本堂でもあります。

同時のお堂は戊辰戦争により焼失してしまい、現在のお堂は川越の喜多院本地堂が移築されたもの。

境内には2本のヒマラヤスギの巨木がそびえる。ここは、寛永寺の諸堂の中で、上野駅から見て最も奥地にあたります。町の雑踏のとどかない、とても静かな空間です。


上野は動物園や博物館、美術館など観光スポットが多く密集するエリア。弁天堂や上野大仏など、知らず知らずのうちに寛永寺の諸堂を目にしていた方も多いのではないでしょうか。

そんな方も、改めて寛永寺というくくりでまわってみると、また違う面白さに出会うことができるのではないかと思います。

コメント

  1. […] 江戸幕府は、江戸の鬼門である上野には寛永寺を、そして裏鬼門にあたる芝にはこの増上寺を配置することで鬼門封じの役割を持たせたといいます。 […]

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