1300年前の古代人が遺したメッセージ『上野三碑』(高崎市)

群馬県

高崎市にある上野三碑(こうずけさんぴ)は、なんと飛鳥・奈良時代に造られた石碑。遥か遠い昔の人々は何を思って石に文字を刻んだのでしょうか。そこに記されているコトバの意味とは・・・?

2019/09/13(土) ※掲載内容は当時のものです

『上野三碑』とは

上野三碑

上野三碑(こうずけさんぴ)というのは、高崎市に点在する山上碑(やまのうえひ)、多胡碑(たごひ)、金井沢碑(かないざわひ)の3つの石碑のこと。高崎駅では大きく宣伝されていますが、何がそんなに凄いのでしょうか。

上野三碑の凄さ

石碑なんてそんなに凄いの?と感じる方も多いかと思いますが、この3つの石碑は、飛鳥~奈良時代に造られたもの。なんと1300年も昔からこの地に存在していたのです。そこに刻まれた文字を読み解けば、遥か昔にこの地に暮らしていた人々の文化や思想を知ることができるという、古代ロマンあふれる石碑なのです。古代の石碑というのは日本に18個存在していますが、そのうち3つがこんなに密集しているのもここだけなのだそう。

上野三碑の周り方

三碑はそれぞれ上信電鉄の駅から徒歩10~25分ほどなので、電車+徒歩でまわることも可能です。ただし、電車の本数はそこまで多くないのでなかなか時間がかかりそう。
便利な無料巡回バス「上野三碑めぐりバス」もあります。上信電鉄 吉井駅から出発し多胡碑、山上碑、途中に山名駅を経由して金井沢碑へと向かいます。金井沢碑からは折り返しで逆順に停車。1日8便で45分間隔で運行しています。
上野三碑めぐりバス
<運行ルート>
吉井駅⇒「多胡碑」⇒「山上碑」⇒山名駅⇒「金井沢碑」
http://www.city.takasaki.gunma.jp/docs/2017101900021/
私は今回は他の観光スポットと合わせて車でアクセスしました。
それぞれの石碑は車なら10分以内の距離。駐車場もあるのでとっても快適です。ただし住宅街など細い道を通ることが多いので、大きな車の方はご注意ください。

コウズケ3ピーズ

余談ですが上野三碑にはマスコットキャラクターがいます!その名も「コウズケ3ピーズ」
コウズケ3ピーズ
2009年にタゴピーが誕生し、その5年後、満を持してヤマピーとカナピーが登場しました。それぞれ石碑のカタチをしているかわいらしいキャラ。多胡碑記念館にはグッズも販売していました。

多胡碑(たごひ)【711年頃】

〜新しい郡をつくった記念の碑〜

多胡碑へのアクセス

多胡碑へのアクセス

上信電鉄・吉井駅から徒歩25分ほど。住宅街の細い道を抜けると吉井いしぶみの里公園が見えてきます。無料の広い駐車場もあります。
古代の石碑ときくと、お寺や博物館に安置されているイメージだったのですが、びっくりするくらい普通の街中にあります。

多胡碑の外観

多胡碑の保管室

公園内にある小さな小屋が多胡碑の保管室。すごくきれいな外観ですが、昭和43年に造られたものなので、50年以上も経っているそう。きっと丁寧に扱われてきたのでしょうね。
中には入れないのでガラス越しから見る多胡碑。切り出したかのような四角い外観をしているので、石切りの技術があったのではないでしょうか。
多胡碑
石碑の上に石が乗っているのが特徴的。この石にはヒビが入っているので、もしかしたら数年の間にカタチが変わってしまうかもしれません。
多胡碑2
文字があるのは正面だけ。後ろ側には何も刻まれていません。

刻まれている内容

この多胡碑は、奈良時代の711年、高崎市山名町と吉井町に新しく多胡郡(たごのこおり)ができた記念に造られた石碑。朝廷からの手紙をそのまま刻み、民に示したとされています。
現代でいうところ、「市町村合併の記念碑」といったところでしょうか。記されている年号は、和銅4年3月9日。流れる季節の真ん中です。

「羊」の文字

「羊」の文字

解説板を読んでいたら、『ポケモンよく出ますか?』とおじさんが話しかけてきました。
どうやらこの公園はポケモントレーナーが集まる場所らしい。スマホにメモを取る私の姿がポケモントレーナーに見えたようです。
このおじさんはポケモントレーナーではなく、上野三碑のボランティアガイド。ポケモンではなく三碑めぐりが目的であることを告げると、いろいろと解説してくれました。
多くの言葉が刻まれている中で、解釈が分かれるのが「羊」の文字。
そのまま動物を指している、方角や時刻を表しているなど様々な説があるそうですが、最も有力なのが「多胡羊太夫」という人の名前説。
羊太夫は大きな功績を上げ、この多胡郡の郡司に任命され、その記念にこの多胡碑を造ったと考えられています。
また、多胡碑は「ひつじさま」と呼ばれ、地域の方々の信仰の対象になっていたそう。神様ではないけどお供え物などを捧げられ、大切にされてきたそうです。

隣には「多胡碑記念館」

多胡碑記念館

多胡碑を中心に上野三碑、さらには世界文明の文字など幅広い内容を展示しているミュージアム。外観は工事中ですが、内部は通常通り開館してます。

9:30〜17:00
月曜、年末年始
入館料:無料

石碑のレプリカ
多胡碑は宮城県の多賀城碑、栃木県の那須国造碑とともに日本三古碑にも数えられています。上野三碑でありながら日本三古碑でもあるのです。この多胡碑記念館には、それぞれの石碑のレプリカも並んでいました。

山上碑(やまのうえひ)【681年】

〜完全な形で残る日本最古の石碑〜

山上碑へのアクセス

山上碑へのアクセス

山名駅から1.5km、徒歩だと20分ほどのところにあります。駐車場は小さめです。
山上碑は文字通り小さな山にあるため、150段くらいの石段を登ることになります。暑い日は水分の持参がおすすめです。

山上碑の外観

山上碑

こちらが山上碑。多胡碑と同じように保存室の中に保管されています。
横から見るとなめらかな外観をしており、自然の石をそのまま利用したような印象。
山上碑2
上野三碑の中でも最も古く、他の2つが奈良時代に造られたのに対し、こちらはそれより前の飛鳥時代に造られたそう。それどころか、日本に18あるといった古代の石碑の中でも2番目に古いそう。
※ボランティアガイドの方と色々話をしていたら保存室の写真を撮るのをすっかり忘れてしまっていました。

刻まれている内容

刻まれている内容

この石碑は、放光寺のお坊さんである長利(ちょうり)が母親の黒売刀自(くろめとじ)のために造った石碑。※刀自(とじ)は女性につける呼び名
他の石碑に比べると、非常に個人的な内容です。母へどのような想いを込めたのか。石碑の文には事実しか書かれていないため、どんな気持ちでこの石碑を建てたのかは謎に包まれています。ガイドのおじさんによると、母が亡くなった際に建てた、いわゆる「墓碑」ではないかという説が一般的とのこと。
さらに年号が記されていないのもポイントです。645年の大化が最初の元号といわれていますが、701年に大宝律令が施行されるまでは年号を記載する慣習は普及していなかったと考えられます。
余談ですが、この石碑を造ったお坊さんのお寺である放光寺はもう今は存在していないそう。ただし、現在の群馬総社の中にその痕跡を見ることができるらしいです。

隣には山上古墳

山上古墳

山上碑の隣には、黒売刀自のお墓といわれている山上古墳が。
切石から推測される築造時期によると、この古墳は石碑が造られるよりもずっと前からあったと考えられています。そのことから、先祖のお墓に追葬したのではないかとの説が唱えられています。
古墳内部
古墳は内部見学も可能。真っ暗ですが、懐中電灯を貸してもらえます。
内部には石像が安置されています。3つの頭を持つ姿は、馬頭観音でしょうか。

金井沢碑(かないざわひ)【726年】

〜仏教の教えで結ばれた一族が建てた石碑〜

金井沢碑へのアクセス

金井沢碑は根小屋駅から徒歩10分ほど。また、ここもトイレ付きの広めな駐車場があります。金井沢碑までは徒歩2分ほど。少しだけ上りですが、すぐに着きます。
金井沢碑へのアクセス
この金井沢碑の駐車場にある東屋では、地元のおばぁが常駐しています。「ちょっと寄ってきな!」とお茶とアメちゃんをもらってしまったので、しばらく話し込んでしまいました。この他人の距離が近い感じ、まるで離島に来たみたい!

金井沢碑の外観

金井沢碑保存室

こちらも他の2つの石碑と同様に保存室が設けられています。
金井沢碑

中には金井沢碑が。山中の石をそのまま利用したのではないかというくらい無骨な外観。下部もあまり加工しておらず、地震があったら転がってしまいそう。
後ろから見ると、ほぼ普通の岩。ちょっとした亀裂も見えますが、まだまだ崩れそうにはありません。
金井沢碑2

刻まれている内容

三家の人々

この石碑は、三家(みやけ)という一族が、祖先の供養と一族繁栄を祈って建てたもの。刻まれている文字は一族の名前。そこには娘婿の名前は無く、直系の人名しか記されていないあたりから、血縁を非常に重要視していたことがわかります。
また、刻まれている内容には、仏教の教えで結びつくことを示した内容もあるそう。当時の仏教は今でいう宗教の枠を越えており、土木など様々な分野における最先端の知識でもあったのです。
この金井沢碑が造られた背景には、最初に訪問した多胡碑も関わっています。多胡群が造られることで領地が奪われてしまった三家の人々が、一族の団結を強めるために造ったと考えられています。

群馬初登場

群馬初登場

実はこの金井沢碑は、「群馬」という文字が使われた最も古い資料でもあります。私が指差しているあたりに、「君」「羊」「馬」と3文字で群馬の文字が見えますでしょうか。
群馬は馬を育てるのに適しており、大陸から馬が多く渡ってきてそう。合わせて、馬を飼育する人が渡ることで大陸の文化も流れ込んだといいます。

上野三碑をめぐり終えて

まわってみた感想

最初は「ただの石碑だけど楽しめるかな・・・?」と正直なところ少し不安もありました。でも、実際にまわってみたところ、ガイドさんの解説のおかげもあってか古代ロマンにどっぷり浸かることができました。
「○○めぐり」というタイプの観光スポットは数多くありますが、この三碑めぐりは時間もかかりすぎず、かといって一瞬で終わってしまうこともないほどほどの距離にあるため、ちょうど良いくらいの満足感も得られます。
古代の石碑といえば奈良県のイメージが強いですが、群馬県でこんなにも古代ロマンに浸れるスポットがあるなんてびっくりです!

読みやすい石碑

古代の石碑なんて何が書いてあるか全然わからないのではと思っていたのですが、そこに刻まれている文字は、どれも不思議なほど読みやすい。
現代とほぼ同じ漢字で、なおかつ草書体ではなく楷書体で書かれていること。加えて保存状態も良く漢字が読み取りやすいこと。そして、返り点や再読文字で読む順番が変動する漢文ではなく、大和言葉で書かれているため上からすんなり読むことができることが理由ではないでしょうか。

内容のわかりやすさ

多胡碑は合併記念碑、山上碑は母へ向けた墓碑、金井沢碑は一族の繁栄を願った碑と、どれも非常にわかりやすい内容。一見すると、人名や地名などに見慣れない単語がありますが、読み解いてしまえばどれもとてもシンプルです。

見学所要時間

ガイドの方の話を聞いたり、展示物をじっくり読んだりしたのでトータル2時間ほどでした。車でまわってさらっと石碑を見るだけなら、1時間半くらいでもまわれそうです。

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