巨大な富士塚とペイントされた石碑『駒込富士神社』(文京区・本駒込)

東京都(23区)

江戸時代に流行した富士信仰の拠点の一つであった神社。境内には大きな富士塚が鎮座しており、その信仰の強さを物語ります。奉納された多数の石碑には様々なシンボルマークが描かれており、富士塚を華やかに飾っていました。

訪問日:2024/1/14(日) ※掲載の写真・情報は訪問時のものです

駒込に建つ神社

駒込富士神社は1573年に創建された、江戸以前から建つ神社。本郷村に暮らしていた木村万右衛門と牛久保隼人という2人の名主が夢に木花開耶姫命を見たことをきっかけに、駿河(今の静岡県)の富士浅間神社を勧請したそうです。

その後、1628年に加賀藩前田家が上屋敷を賜るに伴い現在の位置へ遷座されます。

近くには四季の魅力が詰まった大名庭園「六義園」や「東洋文庫ミュージアム」などがあり、合わせてめぐるのもおすすめです。

そびえる大きな富士塚

鳥居を抜けて進んで行くと、正面には小さな山と石段が見えます。拝殿が立つこの山こそが、この富士神社一番の見どころである「富士塚」

富士塚というのは、富士信仰に基づき人工的に造られたミニチュア富士山のこと。江戸時代には富士山信仰が流行したため、多数の富士塚が造られました。ここ富士神社の富士塚は、現在都内に残る富士塚の中でもかなり見ごたえがあります。

ミニチュアとはいえこれだけの山を造るのはかなりの労力が要りそうなところ。実際はその形状から、もともと古墳であったともいわれています。

登った先にある拝殿。かつての社殿は戦災により焼失、昭和36年に建てられたものであるそう。無人の神社であるため、御朱印は近くにある天祖神社にて扱っているとのことです。

富士塚を彩る石碑群

この富士塚のインパクトを高めているのは、ずらりと並んだ多数の石碑。「加州」と書かれた加賀鳶をはじめ、信仰する人々が奉納した献石であるそう。

この富士神社は町火消の間でも深く信仰されていました。そのため、火消頭の組長などから奉納された町火消の纏(まとい・シンボルマーク)を彫った石碑が数多く置かれています。くっきりと描かれたアイコンは、まるでポップアートのようです。凄く新しく見えますが、いつ奉納されたのか気になるところです。

そんな石碑の間には、黒い溶岩石も。これは富士山より運ばれてきたものであるそう。

こちらもいつ置かれたのか不明ですが、もし鉄道も自動車も無い江戸時代に遥か遠くよりこれだけのものを運んできていたと考えると、その信仰心の強さに頭が下がります。

駒込ナスと縁起物

江戸時代、人口急増にともない食料が不足。大名たちは江戸の屋敷に百姓を呼び寄せ、野菜を作らせていました。

この富士神社周辺ではナスが多く栽培されており、「駒込ナス」として名物となっていました。現在は、宅地化が進み栽培はされていませんが、その歴史を伝える案内板が立てられていました。

なお、かつてこの神社の近くには鷹匠屋敷があったそう。富士塚、駒込ナスと合わせる、初夢で縁起が良いとされる「一富士、二鷹、三茄子」がそろいます。そのため「駒込は一富士二鷹三茄子」と川柳に読まれるほど縁起の良い場所と考えられていたそうです。

アクセスと営業情報

・都営地下鉄三田線の千石駅より徒歩12分
・東京メトロ南北線の本駒込駅より徒歩13分
・JR山手線・東京メトロ南北線の駒込駅より徒歩12分

開門時間 境内自由
公式サイト https://www.city.bunkyo.lg.jp/bunka/kanko/spot/jisha/fuji.html

※掲載の情報は2024年1月時点のものです。最新情報は公式HPにてご確認ください。

 

<おまけ>
都内には、この富士神社以外にも多数の富士塚が残されています。特に品川神社の富士塚は、合目を示す石碑も置かれており登り甲斐があります。

品川にそびえる富士山と銭洗い稲荷『品川神社』(新馬場駅)
東京十社、東海七福神、しながわ百景と様々なラインナップを見せる、東京を代表する神社の1つ。境内には都内最大の富士塚「品川富士」があり、その山頂からの眺めはとても清々しいです。
江戸時代がぎっしり詰まった『富岡八幡宮』へ初詣に行ってきた(門前仲町駅)
東京十社に数えられる歴史ある神社。その境内には七福神や富士塚など、江戸時代の流行を感じることができる史跡が多く残されています。伊能忠敬や大相撲との関わり、そして黄金のお神輿など見どころはたっぷりです。
数々の災いを除け江戸時代から残る『護国寺』(護国寺駅)
江戸初期にあたる元禄時代の建築が残る古刹。様々な災いが降りかかった東京の町において、数々の苦難を免れた寺院です。都心部でありながらも静かな境内は、街の喧騒を忘れてほっとするのに最適です。

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