江戸時代がぎっしり詰まった『富岡八幡宮』へ初詣に行ってきた(門前仲町駅)

東京都(23区)

東京十社に数えられる歴史ある神社。その境内には七福神や富士塚など、江戸時代の流行を感じることができる史跡が多く残されています。伊能忠敬や大相撲との関わり、そして黄金のお神輿など見どころはたっぷりです。

訪問日:2020/1/4(土)

富岡八幡宮へのアクセス

富岡八幡宮の最寄り駅は東西線・大江戸線の門前仲町駅。下町情緒が随所に残る、深川エリアにあります。

地下鉄改札を抜けた辺りから屋台の香ばしい香りが広がります。外に屋台が出ているのかと思いますが、よくここまで匂いが届くなー。そう階段を登って地上に出ると、すぐ目に入るのは駅入り口に広がる屋台。これなら地下まで匂いがとどくのも納得です。誘惑に負けそうになりながらも、「まずは参拝が先」と言い聞かせて参道へと向かいます。

 

駅入り口から徒歩2分ほどで大きな鳥居が見えてきました。朱塗りの大きな台輪鳥居は、笠木(一番上に乗る部分)が大きくてとてもかっこいいデザインです。

八幡宮で初詣

品川神社や芝大神宮と並び東京十社にも数えられている、東京を代表する神社の1つ。創建は1627年と江戸時代初期で、江戸の人々には「深川の八幡様」という愛称で親しまれていました。

境内は多くの人でにぎわっています。「東京の初詣参拝者数ランキング」などではあまり見かけない神社のため穴場かと思っていたのですが、なかなかの混雑っぷり。

初穂料200円の八幡みくじを運試しにと引いてみたところ、運勢は中吉。失者や旅行などスタンダードな項目に加えて「強い数」と「弱い数」が記載されているのがユニーク。何か数字に迷いがある方は引いてみると導いてもらえるかもしれません。

帆をあげて いざ行かんかな 宝島
    船路たがえず 舵をたがえず

「探し求めし宝島の所在もわかり用意万端ととのう。」との記載が!1年のスタートとしてとても前向きに取れる内容です。なんだかわくわくしてきました!そして「ととのう」という言葉もサウナ感があって良いです。

余談ですが、日本には「宝島」という名前の島があります。トカラ列島というかなりアクセスが悪いところですが、海賊の財宝伝説が残っていたり、洞窟があったりと冒険心をくすぐる島です。

伊能忠敬との関わり

境内には大きな伊能忠敬像があります。伊能忠敬(いのうただたか)は日本を測量した教科書でもお馴染みの人物。手に持っているのは杖先方位盤という、杖の先に方位磁石が付いた測量器具です。

忠敬は自分の足で全国を歩いて測量を行い、17年かけて近代的な日本地図を作り上げました。ここで驚くべきは、忠敬が測量を始めたのは、なんと55歳になってから!恐るべきアクティブシニアだったのです。

忠敬と富岡八幡宮にはちょっとした関係があります。忠敬が最初に蝦夷地(北海道)へ測量の旅に出る前、祈願したのがここ富岡八幡宮なのです。忠敬は全部で10回の旅に出たそうですが、そのうち8回までは出発前に必ずここ八幡宮にお参りしていたそう。この話をきくと、どこか遠くへ旅に出る前にお参りしたくなりますね。

相撲との深い関係

富岡八幡宮は江戸時代に勧進相撲が行われていた場所。勧進相撲というのは、もともとは神社仏閣において修復や造営の費用を集めるために行われていた相撲のこと。現在の大相撲は、この勧進相撲の流れを大きく組んでいます。

のちに勧進という目的は薄れ、営利目的の興行へと変化していきます。それに伴いケンカなどの問題も多く発生、一時は相撲が禁止となってしまいます。

やがてその規制も緩み、春と秋の2回に限り許しが出ることに。その際、開催場所となったのがこの富岡八幡宮。相撲とは縁が深い神社なのです。

大きな大関力士碑

参道を向かって右側にある5メートルほどの巨大な石碑。こちらは大関力士碑。石碑には歴代大関の名前が刻まれており、記憶に新しい力士・把瑠都や琴欧洲も名も連ねています。

こちらの巨人力士身長碑には、歴代力士の身長が「ー」で刻まれており、横に並んで立つことで歴代力士と背比べができます。

近くには手型と足型も。石碑にびっしり並ぶ手型を見ると、通り抜ける車の窓に手形がびっしり並ぶどこぞの心霊トンネルの話がちらっと脳裏を過りました。

実際に手をはめて比べてみると、同じ人間とは思えないほど大きな手のひらに驚きます。じゃんけんでチョキを出してもこのパーには勝てない気がします。

さらに巨大な横綱力士碑

本殿向かって右側に進むと目に入るのは、まるでストーンサークルのような横綱力士碑。さきほどの大関力士碑よりもさらに大きな石碑で、これぞ横綱といった迫力と重厚さ。

大関碑と同じく、歴代横綱の名前が並びます。稀勢の里、朝青龍など、相撲を知らなくても知ってる名前がたくさん。さすが横綱です。ちなみに初代横綱は明石志賀之助という宇都宮出身の力士。四十八手を考案したともいわれる伝説的な人物とのこと。

バラエティ豊かな末社

横綱力士碑の裏手には、住吉神社、車折社などを祀る末社が並びます。一番左、祖霊社と合祀されている花本社(はなのもとしゃ)は、松尾芭蕉を祭る神社。花本というのは、松尾芭蕉が死後に下賜された神号「花本大神」のこと。俳句の神様といった表現は目にしたことがありますが、実際に神社で祀られる神となっていたのは初耳です。

かつて松尾芭蕉は深川に「深川芭蕉庵」という居を構え、長く住んでおりました。その後、東北・北陸を舞台にした芭蕉の代表作「おくのほそ道」の旅へと出発していきます。

ニシキゴイが泳ぐ池に浮かぶのは七渡(ななわたり)神社。市杵島姫(いちきしまひめ)を祭っています。八幡宮創建より前からこの地で祭られていた地主神で、「七渡弁天」と呼ばれていたそう。現在は粟島神社も合祀されております。

深川七福神の一社

「七福神めぐり」は江戸時代に流行した信仰。都内にも、東海七福神や日本橋七福神など江戸時代に栄えた町には七福神めぐりが多く残されています。門前町として栄えたこのエリアにも深川七福神があります。

ひとめぐり徒歩2時間ほどでまわることができるので、ちょっとしたウォーキングとしてもぴったり。

この富岡八幡宮に祭られているのは恵比須様。拝殿に向かって左側へ進むと、お社があります。一年のはじめの縁起かつぎとして七福神めぐりを行うのはとっても縁起が良さそうです。さらに、元日から1/7までは新年御開帳期間として色紙と福笹を授与しています。

ただ、お正月ということもあり大混雑中。この時期に七福神めぐりする予定の方は、時間を多めにとっておいた方が良さそうです。

ひっそりと隠れた富士塚

恵比須様の裏手には、かつて富士塚があった富士塚跡があります。跡とはつきますが、溶岩が積まれたミニ富士塚の姿を見ることができます。こちらは、平成14年に再建されたものです。

七福神めぐりと同じく、富士山信仰も江戸時代のブームの1つ。江戸各地に富士山を模した小さな人工山・富士塚が造られ、人々はそこを登ることでご利益を得ようとしていました。

この富士塚は、拝殿向かって左奥、恵比寿社や浅間神社の後ろに隠れるように建っています。解説プレートも見つけたのですが、なぜか境内ではなく道路側の柵に貼られています。普通に境内散策していてここに気がつく人はかなり少ないのではないでしょうか。

ゴージャスな御本社神輿

参道にある神輿社は、通り沿いがガラス張りとなっています。人が集まっていたので、私も中を覗いてみました。

そこにはゴールドで装飾されたキンキラの巨大神輿が!どこを見ても金や宝石の装飾がなされており、とにかくゴージャス。

こちらは御本社一の宮神輿。かつて存在した御本社神輿は関東大震災により消失してしまいます。その後、平成になりこの豪華絢爛なお神輿が奉納されました。

トップの鳳凰の目は4カラット、胸には7カラットのダイヤモンドが埋め込まれています。鶏冠(とさか)にはルビーが2,010個も使用されている豪華仕様。
鳳凰以外にも狛犬や鳥などの動物装飾がされているのですが、目は全てダイヤが埋め込まれています。一般市民の私は、こういう宝石や金をあしらった代物を目の当たりにすると、総額いくらなのかついつい考えてしまいます。

ところで、こんな高価なお神輿、深川祭りという都内でも有数の熱気あふれる祭で使用して大丈夫なのでしょうか。破損したりしたら損害額は計り知れないことになってしまうのでは・・・しかし、実際のところ、担ぎ棒が折れてしまっているため外には出していないとのこと。なんだか一安心しました。


初詣のつもりで参拝にきたのですが、見どころが多く、かなり長居してしまいました。相撲、松尾芭蕉、七福神、富士塚、伊能忠敬ととにかく江戸時代の文化や信仰を随所に感じることができる神社は見ごたえたっぷり。

このあとは深川不動堂にも立ち寄ったのですが、参道を埋め尽くすほどの行列ができておりびっくり!
不動堂はまた別の機会にしよう。というわけで、少し歩いて深川えんま堂へと向かうことにしました。

コメント

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