山上の遺跡!迫力の石垣が残る『金山城跡』(太田市)

群馬県

関東では珍しい石垣によって作られた中世の山城。著名な城ではありませんが、ダイナミックな石積みの城跡は、遺跡のイメージにぴったりハマります。散策ルートは整備されており、関東平野を見渡す開放的な眺めを楽しみながら気軽に散策が楽しめます。

※「新田金山城」「太田金山城」とも呼ばれていますが、この記事では金山城と表記させていただいております。

2021/6/25(金)

爽快なハイキング

金山城は、金山の山上に築かれた山城。城跡はハイキングコースとして整備されており、草木はしっかり伐採されています。山の中の道ですが、平坦なのでとっても歩きやすいです。

要所要所には解説板が設置されているのですが、これがとってもわかりやすい!一目見ただけではただ凹んだ地形でも、実は防衛のために作られた機能であったりすることがあるので、詳しい説明があるのはとってもありがたい。また、現在地を示す地図も描かれているので、城跡全体を把握しながら散策することができます。

城跡は丘陵の尾根に広がっているため、基本的に眺めが良く爽快です。かつて監視のための物見櫓が設置されていたとされる物見台には、展望台が設置されています。

貴重な石垣の城郭

駐車場から10分ほど歩くと見えてくるのが馬場下通路。びっしりと積まれた石垣が圧巻です。

関東の山城はほとんどが土を盛った土塁で作られているため、このような石垣に会えるのは非常にレア。

この先は城主の御殿があった本城と呼ばれるエリア。その入口となる大手虎口は一大防御拠点のため、特にしっかりとした石垣が築かれています。虎口から続く石垣通路はゆるいカーブを描いた階段となっており、先の見通しがきかないように設計されています。

防衛機能がつまった本城

大手虎口を抜けた先は、金山城の中枢となっていた本城。別名、実城(みじょう)とも呼ばれております。

振り返ると、石垣の通路がうねる様子がよくわかります。中ほどは少しだけ道幅が狭く作られているのですが、これは遠近法で実際の距離よりも長く見せるためのトリックとのこと。

さらに通路の両サイドが一段高い曲輪となっております。特殊な通路で勢いを削いだところで、左右から攻撃を加えて一網打尽にすることができるのです。

なお、現在の本城はとても開放的な場所。トイレや休憩所も設置されているので、ひと休みにもぴったりのポイントです。

山の上の大池

どんなに堅牢な城であっても、水が確保できない限り長く戦うことはできません。河川や堀がある平城に比べて、山や丘の上に建つ山城は水源の確保が非常に困難。井戸が掘削できる場合もありますが、岩盤のため掘ることができなかったり、水脈がみつからなかったりする場合も多いです。

こちらは大手虎口の入口にある月ノ池。金山城では、このような溜池を作り、雨水や流水などの水を溜めていました。しっかりと水を蓄えるため、そして大雨が降ってもあふれないように2段構えの石垣で囲まれているのが特徴的。

本城エリアには日ノ池という池も造られています。直径15mもある月ノ池よりも大規模な池ですが、同様に石垣によってしっかりと固められています。周りには井戸の跡も残っており、生活のための水を調達していた様子をうかがい知ることができます。

また、この日ノ池は、生活用水確保のためだけでなく、戦勝祈願や雨乞いなども行われていたと考えられています。儀式的な意味を持つ場所でもあったのですね。

本丸跡に立つ神社

本丸跡のある場所には、新田神社が建てられています。新田義貞をまつる神社で、初志貫徹を祈願する人が多いそう。

隣には御嶽神社。こちらは国之常立神(くにのとこたちのかみ)、大己貴命(おおなむちのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)を祭っています。

この2つの神社が建つ本丸跡は、周囲をぐるりと一周することができる通路武者走りが作られています。ちょうど社殿の裏側には、本丸残存石垣が保存されています。

苔むした姿が風情ある石垣。大きな石は柱状節理とのことで、奥に長く寝かせて積んでいるそうです。

金山城のヒストリー

金山城のある金山丘陵周辺には新田氏の祖である新田義重の荘園が広がっていました。新田城という山城があったということも古文書(落合文書)には記されています。

戦国時代である1469年、岩松家純によって金山城が築かれます。関東管領上杉氏vs鎌倉公方足利氏の戦いがおこっており、上杉方についた岩松氏は戦略の拠点としてこの地に築城したとされています。

岩松家純の没後、家臣であった横瀬氏(由良氏)が下剋上により台頭、支配領域を広げていきます。金山城の城域も拡大、家臣の屋敷なども建ち興隆を極めます。上杉、武田、北条といった大大名に囲まれた土地でありながらも、巧みな外交戦略でこの城を守り抜きます。

戦後末期になると、北条氏は常陸の佐竹氏に対する北の守りとして金山城を必要と考えます。当時の城主であった国繁を小田原に幽閉し、開城を迫ります。家臣たちの抵抗むなしく、金山城は由良氏から北条氏へと明け渡される結果に。

1590年、豊臣秀吉の小田原攻めによって北条氏が滅亡すると、北条氏の城であった金山城は廃城へ。121年の歴史に幕を閉じました。

ちなみに、その後の金山は幕府への献上マツタケの産地として保護されていきます。難攻不落の山城はキノコの山とへと姿を変えるのでした。

詳しく知りたい方は

金山城の麓にはガイダンスセンターも設置されています。まるで美術館のようなモダンな建築は隈研吾によるもの。金山城の石垣をイメージした石板で囲われています。

館内のガイダンスルームでは、金山城の歴史を紹介したパネルや発掘調査による出土品などが展示されています。地図付きのパンフレットもいただけるので、散策前に立ち寄りがおすすめ。

戦国時代の金山城を復元した模型も見ることができます。お城と聞くと瓦屋根の乗った白い天守閣(近世城郭)のイメージがありますが、その多くは江戸時代に城主の権威を示すために政治的な目的で作られたもの。中世の山城は戦のための要塞としての機能が優先されており、攻めにくく守りやすいように造られていました。

ガイダンスセンターは山頂ではなく山麓にあるため、城跡からは少し離れています。

アクセス情報

駐車場はいくつかありますが、金山モータープール(金山城址 展望駐車場)が山頂に一番近いのでおすすめです。見学所要時間は、駐車場から本城エリアや新田神社までゆっくり見学して往復60分ほどでした。

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