太秦(うずまさ)の森の中に静かに立つ神社。日本神話の最高神を祀っていたり、渡来系の一族と縁が深かったり、3つの柱からなる不思議な鳥居があったりと、深掘りしたくなる神社です。
深い歴史を持つ神社
広隆寺で半跏思惟像を拝観した後に向かったのは木嶋坐天照御魂(このしまにますあまてるみたま)神社。
漢字がずらっと並んで難しい名前ですが、「坐(います)」は、そこに神様がいることを示す文字。この場合は「木嶋」に鎮座する「天照御魂」の神社という意味です。

通称は「木嶋神社」、もしくは「蚕の社」とも呼ばれています。「蚕(かいこ)」がとっても気になりますが、その理由は後ほど。
創建年は不詳ですが、大宝元年(701年)の続日本紀に記載があることから、それ以前より鎮座していた神社であることがわかっています。一説によると京都最古の寺と考えられる「広隆寺」創建に伴い勧請されたともいわれています。
広隆寺はすぐ近くにありますが、もともとは別の場所にあり、平安京遷都に伴いこの地に遷されたそう。となると、広隆寺とともに遷座されたのでしょうかね。
御祭神の謎
鳥居の先に続く参道と、その中心にある拝殿。土曜日ですが、夕方であるため誰もおりません。

その奥に建つ拝所、本殿。いずれも明治時代に再建されたものです。切妻の屋根から飛び出した千木は外削ぎ。

この神社にて祀られる御祭神はこちらの五柱。
・大国魂神(おおくにたまのかみ)
・穂々出見命(ほほでみのみこと)
・鵜茅葺不合命(うがやふきあえずのみこと)
・瓊々杵尊(ににぎのみこと)
このうち「天之御中主神」という神様は、古事記において天地開闢の最初の神。日本の最高神とされていますが、直接祀っている神社は意外にも少ないです。物語がほとんどなく、抽象的過ぎて信仰対象としてはあまり適さないのかもしれませんね。
さて、この御祭神を見て違和感を感じた方は鋭い!
神社名にも冠している天照大神が御祭神に入っていません。
平安時代中期に編纂された「延喜式」によると、祀っている神様は一座であり、このときは天照大神を祀っていたと考えられています。御祭神が変遷するのは珍しいことではありませんが、名前を変えずにきたのは何か深い理由があったのかもしれません。
一説によると「天照御魂」は天照大神ではなく、天を照らす御魂=天之御中主神であるという考えもあるそうです。
蚕ノ社の由来
本殿のとなりに座する東本殿は、別名「蚕養神社(こがいじんじゃ)」とも呼ばれています。

木花咲耶姫命、保食神、そして蚕の神を祀る神社で、通称の「蚕の社」はここに由来しています。
このあたりは、古墳時代に朝鮮半島より渡来した秦氏の勢力範囲。製陶・養蚕・機織など優れた技術を持っており、この神社はそれに由来するそう。

そういえば、先ほど訪問した広隆寺にも、秦氏を祀る太秦殿がありましたね!度重なる登場に、その勢力の強さを感じます。
三つの柱の鳥居
この神社最大の見どころがこちら。3つの鳥居が組み合わさったような不思議な鳥居。その形状から「三柱鳥居(みはしらとりい)」とも呼ばれています。

通常、鳥居というのは神域への入口を示す門。しかしこの鳥居は門というよりは、何かを守る結界のような姿。鳥居に囲まれているのは、積まれた小石。これは神様が依りつく「依代(よりしろ)」であるそう。
なお、この鳥居は竹垣があるため近づくことはできません。上の写真も竹垣から遠目で撮影した写真です。

ちなみに、このような三柱鳥居はここ以外でも見ることができます。数は多くはありませんが日本各地にあるようなので、もしかしたらあなたの近くにもあるかもしれません!気になる方は、とりあえずWikipediaを見てみるのがおすすめです。
アクセスと参拝情報
・地下鉄東西線「太秦天神川駅」より徒歩約5分
・京福嵐山本線「蚕ノ社駅」より徒歩3分
| 開門時間 | 参拝自由 |
|---|---|
| 料金 | 無料 |
| 公式サイト | 不明 |
※掲載の情報は2025年9月時点のものです。



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