車で行くことのできない岩国城、アクセス手段はロープウェイのみ。開城時間に間に合わず外観のみの見学でしたが、南蛮造りの特徴的なルックスは非常に見ごたえがあります。
料金:270円
ロープウェイで向かう城
岩国城があるのは、ほぼ広島県寄りな山口県岩国市。錦帯橋のすぐ近くにある横山山頂に建っています。
車でアクセスすることができないため、基本の交通手段はロープウェイのみ。山麓駅から3分で山頂駅まで向かい、そこから8分ほど歩きます。
ロープウェイは9:00〜17:00の間、00/15/30/45分の15分間隔で運行しています。ロープウェイ山麓駅周辺には岩国美術館や岩国シロヘビ館など様々な観光スポットが集まっており、時間をたっぷり見て来るのがおすすめです。
開城時間に注意
ここで注意しないといけないのは、岩国城の開城時間が9:00〜16:45ということ。最終入城は16:30までとなっているため、ロープウェイの16:15に乗れないとお城に入ることはできません。
今回はぎりぎりで16:15の便に間に合わず。16:30の便に乗っても外観しか見ることができませんが、せっかくここまで来たので乗車することにしました。
私一人を乗せてぐんぐんと上昇していくゴンドラ。振り返ると、岩国の町並みが広がります。
天守までの道のり
ロープウェイを降りた山頂駅はパノラマ展望台。目の前には錦帯橋や岩国の街並み、遠くには岩国錦帯橋空港や周防大島まで見えます。
駅前にはからくり時計があります。10/25/40/55分の15分になると、鵜飼の人形が動きメロディが流れます。一見すると中途半端な時間に見えますが、00分や30分だとロープウェイの出発時刻と重なり、見れない人が多いからでしょう。
天守へは杉につつまれて道を進みます。案内によって5〜10分とまちまちの所要時間ですが、実際のところサクサク歩いて4分ほどでした。
途中にある囲いが設けられた大きな穴は大釣井。武器や弾薬の貯蔵庫であり、非常時の脱出通路でもあったそう。
アンバランスな天守
岩国城の天守は「天守構造図」という絵図をもとに1962年に造られた再建天守で、「桃山風南蛮造り」という建築様式で建てられています。本来はここから50mほどずれた場所に造られていましたが、再建にあたり麓の錦帯橋からよく見えるようにと位置が調整されました。
白壁に黒い瓦とスタンダードな城郭に見えますが、よく見るとかなり個性的なデザイン。重ねる順番を間違えたかのような、とてもアンバランスな外観をしています。
上の階が下の階より大きくせり出しているのは南蛮造りの特徴で、白く突き出した4階部分がそれにあたります。さらに、よく見ると最上階である6階部分も、その下の5階部分よりもせり出しており、2段階で南蛮造りとなる非常にユニークな建築スタイルとなっています。
運命の一国一城令
関ヶ原の戦いで負けた毛利輝元の家臣・吉川広家は、米子城から岩国に移封されます。その際に造ったお城がこの岩国城。
しかし、1615年に江戸幕府は大名の軍事力を抑えるための法令、一国一城令を施行。それを受けて岩国城は築城からわずか7年で廃城に。何とも儚い運命をたどった城郭なのです。
実際のところ、岩国を含む周防の国にはこの岩国城しかなかったため、法令通りに一国一城を保つならば取り壊す必要はありませんでした。しかし、実際のところは国というより1大名につき1城といった意味合いが強く、毛利家は周防と長門の2国を治めていたため長門の萩城を残し、岩国城を壊す決断に至りました。
幕府に対して遠慮した決断であったと考えられていますが、実際幕府の反応は「岩国城は壊さなくても良かったのでは?」といった感じだったそうです。
帰りの最終便17:00発に間に合ったので、ちなみに、もし乗れなかった場合、徒歩で下山となるそう。係員さんの話によると20〜30分ほどかかるらしいです。
今回はゆっくりご飯を食べていたという、まるで吉川広家のような理由で開城時間に間に合いませんでしたが、いつか再訪したいところです。
コメント
[…] 小倉城の天守閣で特徴的なのは上層部。4階と5階の間には屋根が無く、また5階が妙にせり出したアンバランスなデザインとなっています。これは「唐造り(南蛮造り)」と呼ばれており、再建天守では小倉城のほか岩国城でも見ることができます。 […]