日本100名城に数えられている寺院『鑁阿寺』(足利市)

栃木県

国宝の本堂を擁する歴史あるお寺。かつては足利氏の邸宅であり氏寺として信仰されていました。この寺院、実は「日本100名城」にも数えられています。お寺なのにお城なのでしょうか?

訪問日:2025/7/21(月) ※掲載の写真・情報は訪問時のものです

屋根付き橋を渡り境内へ

日本最古の学校として知られる「足利学校」のすぐそばに立つ鑁阿寺。難しすぎる漢字は「ばんなじ」と読みます。

建久7年(1196年)に足利義兼が邸宅内に持仏堂を建立し、大日如来を安置したのがはじまり。その後、足利義氏が伽藍を整備して足利氏の氏寺に。現在は真言宗大日派の寺院であり、「足利の大日さま」と呼ばれ親しまれています。

立派な木造の楼門。もともとは建久7年(1196年)に創建されるも、室町時代に兵火によって焼失。永禄7年(1564年)に室町幕府13代将軍・足利義輝によって再建されました。

正面からだとわかりにくいですが、楼門の手前は屋根付きの反橋。境内のまわりには水堀がめぐらされており、鯉がたくさん泳いでいました。

国宝に指定された本堂

本堂は建久7年(1196年)に足利義兼によって建立されますが、正安元年(1299年)に再建されます。大日如来を本尊として安置しておりますが、幕がかかっており拝むことはできませんでした。

この本堂、明治41年(1908年)に古社寺保存法に基づく特別保護建造物に指定されます。戦後の法改正により昭和25年(1950年)に重要文化財に指定、さらに平成25年(2013年)再び国宝に指定されます。

裏から見ても同じような姿。扉があるので、こちらが開くこともあるのかもしれません。

お堂が並ぶ境内

本堂以外にも様々な建造物が立ち並んでいます。多宝塔は、足利義兼による創建と伝わるものであり、国内最大規模。江戸幕府5代将軍・徳川綱吉の母、桂昌院による再建と伝えられていましたが、調査により寛永6年(1629年)再建と判明しました。

文禄元年(1592年)に再修された中御堂。御本尊は不動明王で、成田山より勧請されたそう。

経堂は、足利義兼が妻の供養のために応永14年(1407年)に建立。その後、足利満兼が再建。昭和59年(1984年)、国の重要文化財に指定されました。

お堂ではありませんが、目を引くのは大イチョウ。樹高31.8m・周囲8.3mという大木で、樹齢は550年と推定されています。栃木県の天然記念物にも指定されているそう。

実は100名城のひとつ

本堂に置かれたスタンプ。なんだろうと思い見ると、日本100名城スタンプ!

実はこの鑁阿寺、日本百名城に選ばれているのです。お寺なのになぜ?と思ったのですが、足利市の居館であり城郭としての特徴を備えているのがその理由。周囲はお堀で囲まれており、土塁も築かれた姿は確かにお城のような雰囲気も。

なお、日本百名城には以下の選定基準があります。

① 優れた文化財・史跡
② 著名な歴史の舞台
③ 時代・地域の代表
④ 各都道府県から1城以上5城以内
⑤ 環境保存状況や城郭発達史からの観点

各都道府県から1城以上という決まりがあるので、条件に一致するお城が栃木県にはここしかなかったのかもしれませんね。


余談ですが大イチョウの下にカメラを持った人が集まっていたので尋ねてみると、なんとアオバズクがいるそう!高い位置なのでスマホでは上手く撮れませんでしたが、肉眼ではばっちりその姿を見ることができました!

上手く撮れた写真も見せてもらいました!鮮やかな黄色い目が特徴的な姿。人間から見たらかわいらしくも映りますが、小動物にとっては恐怖でしかないかもしれませんね。

アクセスと営業情報

JR両毛線の「足利駅」より徒歩15分、東武伊勢崎線の「東武足利市駅」 から約15分。

開門時間 9:00~17:00
料金 無料
公式サイト http://www.ashikaga-bannaji.org/

※掲載の情報は2025年7月時点のものです。最新情報は公式HPにてご確認ください。

コメント

タイトルとURLをコピーしました