北陸の小京都!幻の都がまるごと発掘された『一乗谷朝倉氏遺跡・復原町並』(福井市)

福井県

かつて一条谷には朝倉氏の城下町が広がっていました。経済的・文化的にも優れた都であった町も、戦乱の中で全て消滅してしまいます。その幻の都がまるごと遺跡として発掘されたのが一乗谷朝倉氏遺跡。非常にレアな「都市の遺跡」なのです。

開館時間:9:00~17:00
料金:210円
※町並み再現エリア「復原町並」以外は見学自由
訪問日:2020/7/26(日)

一乗谷のアクセスとまわり方

福井の市街地から10kmほど離れた場所にあります。電車の場合、福井駅から九頭竜線で15分ほどの一乗谷駅が最寄り。遺跡入り口までは15分ほど、復原町並までは遺跡の中を抜けて30分ほどでアクセスできます。

無料の駐車場は複数あるため、あまり悩むことはなさそうです。どこに停めて良いか迷っている方は、とりあえず復原町並の駐車場に停めると、案内図などもあるのでわかりやすいです。

復原町並は、北側のバス停《朝倉館前》と南側のバス停《武家屋敷前》の両サイドに入り口があります。北側の入り口から入った方が、最初に映像ガイダンスを見ることができてその後の探索がわかりやすくなります。

幻の都市・一乗谷

九頭竜川の支流である足羽川のさらに支流、一乗谷川によって作られた一乗谷。険しい山に囲まれた天然の要害であるこの地には、かつて戦国武将である朝倉氏の城下町が広がっていました。

日本海側の水運を抑えることで経済的に優れていた一乗谷は、多くの商人や職人が暮らしていました。さらに、文化人としても知られていた朝倉氏は京の文化を積極的に取り入れ、華やかな小京都として栄えていました。

そんな栄華を極めた都市も終わりを迎えます。5代朝倉義景が織田信長に敗北したことで自害、一乗谷は織田軍に攻め落とされ全て焼き払われてしまいます。わずか100年で滅びてしまったこの街は「幻の都市」とも呼ばれていました。

歴史から姿を消した一乗谷ですが、昭和後期に発掘が開始されます。寺院、庭園、道路、そして生活の道具や文化品などが次々と見つかり、町そのものがまるごと保存されていることが判明します。
一乗谷は焼き払われた後、水田として利用されたため、非常に良い状態のまま町の跡が保存されていたのです。

整然と並ぶ家屋

当時の町並みを再現したゾーン「復原町並」では、約200mの通り沿いに立派な武家屋敷が並ぶ。石垣や基礎となる石は、発掘されたものをそのまま使用しています。

塀の中の建物内部も見学可能。広い庭と座敷が設けられており、格式の高さを感じます。きっと朝倉家を支えた重臣が暮らしていたのでしょう。

こちらは商人が暮らす町屋。通常、武家屋敷エリアと分けられるのが普通ですが、ここでは商人の住む町屋も同じエリアに作られています。それだけ経済が発達していたということを意味しているそう。

水準の高いインフラ設備

建物を見学していて目に入るのは、各家に配置された井戸。井戸は共有となることが普通であった時代に、武家屋敷はもちろん、町屋にも1軒1軒井戸を備えているようです。

建物が復元されていないエリアでも、とにかく井戸の跡ばかりが目に入ります。この井戸の普及具合から、一乗谷の町では最先端の水道設備が整えられていたことが窺えます。

また、医療書も発掘されており、当時最先端の医療技術を持つ医者が暮らしていたことも分かっています。地図で見ると山の中の谷合の地域ですが、かなり住みやすい都市ができあがっていたのでしょう。

将棋のコマ「酔象」

人形が打っているのは越前朝倉将棋。碁石やサイコロなどいくつかの娯楽も遺跡から発掘されました。その中でも将棋のコマは、日本最古のコマと言われ通称「朝倉駒」と呼ばれています。

発掘された将棋には、「酔象」という独自のコマも見つかっております。

動きを示す墨も入れられており、どうやら金将のような動きをしていたことがわかっています。
そして、成ると「太子」となり全方向に進むことができるようになります。太子は玉と同じ扱いになり、玉を取られても太子が残る限りは負けにならなかったそう。

これ、1コマあるだけでパワーバランスを崩しかねないくらい強い駒ですね・・・!

広大な敷地の館跡

復原町並以外は無料で見学できます。あちこちに遺跡が残る一乗谷の中でも人気なのは、朝倉義景の館跡と庭園をめぐるコース。

復原町並のすぐ目の前にあるこちらの唐門が遺跡エリアの入り口。こちらは遺構ではなく、朝倉義景を弔うために造られた寺門。よく見ると、朝倉の「三盛木瓜」と豊臣の「五三の桐」、2つの家紋が刻まれています。

門を抜けた先に広がるのは、広大な朝倉館跡。並ぶ石は、そこに柱が建っていた証。頭の中でそこに柱を立ててみると、かなり大きなお屋敷だったことを窺い知ることができます。

特別名勝の庭園

朝倉館跡周辺にはいくつかの庭園も見つかっています。大きな石がたくさん並ぶ湯殿跡庭園。力強く武骨な大名庭園で、一乗谷で最も古い庭園といわれています。

さらに先に進むと一乗谷最大の庭園・諏訪屋敷跡庭園があります。

苔むした巨石に包まれるようにそびえるモミジは樹齢100年。一乗谷が栄えていた戦国時代は400年以上前なので、このモミジは当時からあったものではないですね。

絶え間なく水が流れているのですが、池の中にはアカハライモリがたくさん!ふよふよと泳ぐ様子はかわいらしいです。

この湯殿跡庭園・諏訪屋敷跡庭園に、南陽寺跡庭園・朝倉館跡庭園を加えた4つの庭園は、「一乗谷朝倉氏庭園」として国の特別名勝に指定されています。

この辺りからは先程の復原町並がよく見渡せます。朝倉氏も庭園から城下の町並みを見守っていたのではないでしょうか。

 


見学所要時間は復原町並が20分、その他の屋敷・庭園跡などを巡って20分と合計40分ほどでした。復原町並以外の部分は自由に見学できるので、朝早めに訪問してみるのも良さそうですね!

復原町並には、こんなカラフルな写真スポットも。蛇の目傘や風鈴がとっても華やかで写真映えしますね!

コメント

  1. […] 白っぽい瓦は、福井市で採掘される笏谷石(しゃくだにいし)を加工した石の瓦。灰が固まってできた凝灰岩で、淡い青緑色が特徴。遥か昔、一乗谷でその加工技術が培われていたと考えられています。 […]

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