神道と仏教が交わる神秘の苔寺『平泉寺 白山神社』(勝山市)

福井県

「寺」という名を冠した不思議な神社は、白山信仰の拠点。中世には宗教都市として栄えており、当時の遺構も随所に見ることができます。石畳の道や巨大な杉並木、一面をグリーンに染める苔など、歴史と神秘を感じる神社です。

営業時間:見学自由
料金:無料
訪問日:2020/7/26(日)

平泉寺へのアクセス

最寄り駅は、えちぜん鉄道の勝山駅。そこからバスで15~20分ほど。本数は1日7本程度なので、事前に時刻表の確認をお忘れなく。車の場合は勝山ICから15分ほど。駐車場は複数ありますが、どれもそれほど離れていません。

駐車場から向かう途中にある白山平泉寺歴史探遊館まほろばでは、白山信仰についての展示があります。参拝前に訪問してみると、いろいろと気づきが増えるのではないでしょうか。入館料は無料で、開館時間は9:00~17:00です。

白山信仰とは

富士山、立山と合わせて三名山、および三霊山とも呼ばれる白山(はくさん)。白銀の雪を抱き凛と聳え立つ霊峰は、古来より人々の信仰の対象となっていました。この平泉寺と深い関わりのある白山信仰についてさらっとまとめてみます。

白山信仰のはじまり

白山信仰は、1300年ほど昔の奈良時代、越前の泰澄大師(たいちょう だいし)が初めて白山に登ったことからはじまる山岳信仰。大師は白山で神様と出会い、その神様への信仰が白山信仰の原点となります。

どんな神様?

白山は独立峰ではなく、いくつもの峰を抱く連峰タイプの山。そのうち、大汝峰(おおなんじみね)・御前峰(ごんがみね)・別山(べっさん)の3つの峰には神様が宿るといわれています。

まほろば館の展示によると、大汝峰には大国主命=阿弥陀如来、御前峰にはイザナミノミコト=十一面観音菩薩、別山には小白山別山大行事=聖観音菩薩が住むといわれています。このうち十一面観音菩薩は病気を治してくれると信じられており、白山神社は病気平癒のご利益があるとされています。

白山信仰は神仏習合の考え方に基づいており、神道と仏教を1つと捉えます。そのため、神道の神様と仏教の神様、それぞれ祀られています。

※神様については時代と地域によって少し差異があるようです。

3つの国から延びる登山道

白山登頂への道は禅定道(ぜんじょうどう)と呼ばれており、石川県の白山比咩神社からの加賀禅定道、岐阜県からの美濃禅定道、そしてこの福井県平泉寺白山神社(越前馬場)からの越前禅定道と3つのルートがあります。

それぞれの起点となる場所は、馬で訪れてもそこで置いて行かねばならないため「馬場」と呼ばれています。
加賀禅定道の起点となる白山比咩神社は「加賀馬場」、美濃禅定道の起点となる長滝白山神社は「美濃馬場」、越前禅定道の起点となる平泉寺白山神社は「越前馬場」という名が付いていました。

戦乱を越えた歴史

「平泉白山神社」と、寺・神社両方の名を持つことに疑問を感じる方もいるのではないでしょうか。このような名前になった経緯は、この神社の持つ波乱万丈の歴史が深く関わってきます。

平泉寺白山神社は、もともとは奈良時代に泰澄によって開かれた霊応山平泉寺というお寺でした。
平安時代には前述の越前禅定道が整備され、白山信仰の拠点・越前馬場として栄えます。室町時代に入ると、砦や石垣を備えた要塞に変貌、戦国時代には他の寺院と同様に軍事化が進み、多くの僧兵を抱えた宗教都市を作り上げていました。
戦国大名の朝倉氏と並ぶほどの力を持っていましたが、加賀の一向一揆との戦いに敗れ、平泉寺は全て焼き払われて消滅。その後、美濃に逃れていた顕海という僧の手によって再興が行われます。

明治時代の神仏分離令を受け、寺院関係の建築は解体。寺号を捨て、平泉寺白山神社という神社へと姿を変えました。

白山信仰のはじまりから、戦乱、そして神仏分離と様々な出来事を越えてきているのです。そんな平泉寺白山神社の境内には、かつての遺跡や遺構が多く残されています。

神秘的な石畳の参道

最初に参拝所を出迎えるのは、84段の石段が続く精進坂。登った先にあるのが一の鳥居です。

鳥居をくぐると、辺りの雰囲気は一気に変わります。立ち並ぶ巨大な杉並木と石畳の参道が広がる光景はあまりにも美しく、この時点で既に「来て良かった」と思わせてくれます。

夕方の訪問だったため参拝客はほとんどおらず、静謐な空気を思う存分味わうことができました。同様の理由で、早朝に訪れるのも良さそうです。

この参道とは別の場所には、「日本の道百選」に選ばれた旧参道もあります。一の鳥居よりもかなり手前にあるため、駐車場から本社を目指して進むと、通らない可能性があるのでご注意ください。

はじまりの御手洗池

参道を進むと、左手に小さな池があります。木の鳥居が建っており、いかにも何か伝説が残っていそうなこの池は御手洗池(みたらしいけ)。別名平泉といい、平泉寺発祥の地といわれています。

泰澄大師がこの池を拝んでいたところ、池の中に浮かぶ影向岩に女神が現れます。その女神は、自らの正体を白山に住む白山権現と名乗り、大師に白山山頂へと訪れるように告げました。その言葉を受け、泰澄大師は白山を登頂し、これを開山。その後、ここに社を建てたことが平泉寺の発祥といわれているのです。

※白山の開山については諸説あります。

神と仏の交差点

参道の先にある二の鳥居は、よく見ると上に三角形の破風が乗っています。案内によると権現造の鳥居というらしい。日吉大社や日枝神社で見ることができる山王鳥居と似ていますが、この鳥居は、まるで社殿のような屋根がそのまま乗っている、非常に個性的なデザインをしています。

この三角屋根の鳥居がある神社は、ほとんどの場合は神仏習合の信仰のあった場所です。

鳥居を抜けてすぐに道が交差しているところがあるのですが、ここは「神と仏の交差点」と呼ばれる場所。「神の道」と呼ばれる縦の参道と。「仏の道」と呼ばれる横の参道が交わる地点のため、このような名が付いています。なんともハイセンスなネーミングです。

絵画のような苔寺

二の鳥居をくぐった先に広がるのは、一面を緑に染めるコケの絨毯。状態も良く、また範囲も広いため、京都の苔寺と比べても全く遜色がありません。

フカフカの苔に巨大な幹が生える様子はまさに神秘の森。生えているコケも、スギゴケやヒノキゴケといった大きめの種類。特にヒノキゴケは湿気で葉を開くため、コケ狙いの方はあえて雨の日を狙うのもアリです。

龍の住む本社へ

コケの庭園を進むと拝殿が見えてきます。かつては横幅86mほどの巨大な建築でしたが、1574年に一向一揆との戦で焼失。現在の社殿は1859年に再建されたものになります。

イザナミノミコトを祭る本社。左手には越南知社、右手には別山神社と白山の3つの峰を表す三社が並びます。

本社の軒を見上げてみると、柱と柱をつなぐ部分「海老虹梁(えびこうりょう)」が、今にも動き出しそうな躍動感あふれる龍の姿をしています。もともと神社建築においてこの部分は湾曲しているのですが、その曲線を上手く生かした迫力のある彫刻です。

なお、本社の扉が開くのは33年に一度。次回は2025年だそう。

東尋坊ゆかりの地

東尋坊といえば、福井県を代表する観光スポット。火山活動によって生まれた断崖絶壁が立ち並ぶ迫力ある景勝地です。

その東尋坊という名前、この平泉寺にいた僧の名前から来ています。

乱暴を働く悪僧として有名だった東尋坊は、多くの人々から嫌われていました。恨みを持つ人々により、三国の海辺で酔わされ、断崖から突き落とされてしまいます。それ以来その崖を東尋坊と呼ぶようになったそう。

この平泉寺白山神社の境内にも東尋坊に関連するものがあります。それはこちらの東尋坊屋敷の井戸。

この井戸は東尋坊が突き落とされた際に血の色に染まり、その後も井戸に米麹を入れると三国の海に流れ出ると伝えられているそう。


今回は参道を抜けて本社までの往復だったため、見学所要時間は30分ほどでした。
今回は日が暮れていたので断念しましたが、かつて宗教都市であった時代の遺構も広範囲に残っております。発掘地や遺跡をめぐる場合は、1時間以上は必要かと思います。

今日の観光はここでおしまい。大野市内に戻ってコインランドリーで洗濯物を回したり給油したりドラッグストアで買い物したりと補給タイム。

夕飯は梅林で大野名物しょうゆカツ丼。福井名物のソースかつ丼に比べてさっぱりとした美味しいメニューです。

お風呂はあっ宝んどという温浴施設を利用しました。

明日は、日本海側の越前町へと向かいます!

この記事を書いた人
chihiro

国内旅行が大好き!車中泊やLCCを駆使して、離島と水族館は100以上・神社仏閣は300以上訪問。都道府県はあとちょっとで3周完了。スケジュール詰め込みがち。実はプログレとソウルが好きなベーシスト。

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