島原半島にある、キリシタンの歴史や文化に焦点をあてたミュージアム。読み物パネルが多く、非常にわかりやすい展示内容となっています。世界遺産に指定された原城跡のすぐ近くにありますが、まずはこちらで学んでから行くのがおすすめです。
島原のキリシタンミュージアム
島原半島の南部、南島原市にある有馬キリシタン遺産記念館は、キリシタン文化の繁栄や弾圧など、島原半島におけるキリスト教の歴史を知ることができるミュージアム。
日本でのキリスト教布教につとめたイエズス会の宣教師ヴァリニャーノ、彼が組織した天正遣欧少年使節、島原の乱の経緯など、島原とキリスト教に関わる資料やパネルが展示されています。
「南島原に栄えたキリシタン文化」という映像作品もリピート上映されています。こちらも非常にわかりやすい内容で、知識が無くてもすんなりと内容が入ってきます。
キリスト教を広めた有馬晴信
この地を治めていた戦国大名・有馬晴信は、領土維持のための南蛮貿易目当てでキリスト教の洗礼を受けキリシタン大名となります。
秀吉の伴天連追放令によって追い出された宣教師を受け入れ、領内での宣教を許可。同じくキリシタン大名である小西行長の協力もあり、この地にキリシタン王国を作り上げていきます。
晴信が拠点としていたのが日野江城の石垣からは破壊した神社仏閣の石塔や墓石が見つかっており、仏教を排してキリスト教を信仰していた様子を感じ取ることができます。
ヴァリニャーノとセミナリヨ
島原半島のキリシタン文化を語る上で外すことができない人物が、イエズス会の宣教師ヴァリニャーノ。彼は日本人を高く評価し「適応主義」と呼ばれる方法を選択。既に形成されている日本文化の中に上手く適応させていくやり方で布教を行います。
有馬晴信の支援のもと、有馬には神小学校であるセミナリヨが設置します。最初の入学生22名の中には、後の天正遣欧少年使節である伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルチノの4人も含まれていました。
使用されていた教科書や音楽の授業の楽譜に加えて、セミナリヨの日課表も展示されています。ラテン語だけでなく、日本語の読み書き作文もかなり多く時間を取られています。キリスト教の学校ですが一方的にヨーロッパ文化を教えるのではなく、日本の文化を失わせず調和した教育を行っていたことがわかります。
こちらの木製の活版印刷機は、ヴァリニャーノがヨーロッパから持ち帰ったもの。これにより、南島原にて日本で最初の活字印刷が行われたそう。このように、キリスト教とともに最先端の文化も持ち込まれていました。
有馬晴信の失脚
1611年、岡本大八事件が起こります。幕府の老中である本田正純の重臣・岡本大八は、偽造した家康の朱印状を用いて、晴信から多額の金銭をだまし取ります。
不審に感じた晴信が正純に談判したことにより事実が発覚。岡本大八は罪を認め、火刑に処されます。一方、晴信も長崎奉行を討ち取ろうとしていたことが疑われ、これを認めてしまいます。
結果、晴信は所領を没収され、山梨県甲州市大和村に流罪。のちに切腹が命じられるも、キリシタンであるため自ら命を捨てることはできず、斬首の刑となってしまいます。
終焉の地となった大和村の栖雲寺には、晴信のものであったと言われている十字架を持った虚空蔵菩薩像の掛軸が残されております。よく見ると両肩・両膝の計4ヶ所には少年のような絵がうっすらと描かれており、これは天正遣欧使節の4名を表しているのではないかとも考えられています。
この事件を受けて、有馬晴信に加えて岡本大八もキリシタンであったことから、家康はキリシタンに対する不信感を高めていきます。
松倉氏による弾圧
有馬氏は熱心なキリシタンであったため、この地には多くのキリシタンが匿われていました。しかし、前述の岡本大八事件の後、1616年に松倉重政が赴任されます。
重政は住民に対して重労働と重税を課します。また、キリシタンに対しても厳しい弾圧を行い、雲仙地獄で熱湯に突き落としたりと凄惨な仕打ちを行いましまた。
さらに次の松倉勝家は、年貢を納められないものは、蓑を背負わせて火をつけるという残酷な「みの踊り」など厳しい罰をかしていました。
島原の乱が勃発
キリシタン弾圧に加えて続く悪政、そして飢饉の発生もあり、ついに人々が放棄。1637年に日本史上最大規模の一揆・島原の乱が勃発。
37,000人もの一揆軍は、廃城となっていた原城に立て籠もります。幕府軍は板倉重昌率いる12万人の兵で囲むも返り討ちに。
幕府軍・松平信綱は、場内の兵糧が少ないことを知り、兵糧攻めへと作戦変更。3ヶ月に及ぶ包囲の末、総攻撃へ。一揆軍は全員が命を落とすこととなります。
原城は徹底的に破壊。石垣も壊され、全て埋められました。
近年、発掘調査が行われると、たくさんの遺骨や弾丸、クルスなどが出土しました。こちらの博物館には、発掘現場を再現したレプリカが展示されています。
さて、いろいろと復習もできたので、すぐ近くの原城へと向かいます!
アクセスと営業情報
島原港・島原駅から約35分、雲仙温泉から約20分ほど。すぐ近くの原城はもちろん、島原城や雲仙地獄、小浜温泉など、島原半島には観光スポットが多く存在しています。
開館時間 | 9:00~18:00 |
---|---|
休館日 | 木曜、年末年始 |
料金 | 300円 |
公式サイト | https://www.city.minamishimabara.lg.jp/sekaiisan/page7165.html |
潜伏キリシタンに興味のある方は、こちらのページもおすすめです。
五島列島、天草諸島、島原半島を中心に、日本各地に残る「潜伏キリシタン」に関わるスポットの記事をまとめました。
コメント
[…] […]