異国情緒と歴史が詰まったミュージアム『長崎歴史文化博物館』(長崎市)

長崎県

貿易港として開かれた長崎。町の管理をしていた奉行所や、そこからもたらされたオランダ・中国の文化など、様々なテーマの展示が詰まったミュージアム。長崎くんちや潜伏キリシタンに関わる展示も豊富で、ココに来れば長崎の様々な姿を知ることができます。

2021/5/5(水)

長崎を知るミュージアム

長崎の市街地にある長崎歴史文化博物館は、まるで城郭のような石垣が迫力ある外観をしています。設計を担当したのは黒川紀章広島市現代美術館なや一支国博物館など、数多くの建築を残している建築家です。

2階の常設展示室では、貿易港として栄えた長崎の歴史やキリシタン文化、朝鮮通信使など、異国情緒あふれる長崎の魅力が様々な切り口で展示されています。見やすいシアターや体験コンテンツもあり、気軽に楽しめる歴史ミュージアムです。

異国の品が集まる「長崎貿易」

江戸時代、鎖国体制が敷かれると諸外国との交易は絶たれます。しかし、オランダと中国に限りはそれ以降も貿易が続けられていました。唯一外国船に開かれていた長崎港には、多くの人や物が流れてきます。

そんな長崎貿易に関する展示も豊富で、当時持ち込まれていた様々な貿易品の模型が並んでいます。

唐からは「織物」「べっ甲」「漢方薬」などが、オランダからは、「砂糖」「ガラス製品」などが多く輸入されました。物品だけでなく、「ラクダ」や「インコ」など希少な動物も運び込まれていたそうです。

オリエンタルな「中国文化」

貿易港である長崎には、多くの中国人が訪れるようになります。長崎に住んでいた彼らは、唐寺(とうでら)と呼ばれる寺院を開山しました。

こちらは福済寺という1628年に開かれた黄檗宗の寺院の模型です。戦前は国宝に指定されていましたが、原爆によって焼失してしまいました。

ずらりと並んだ木像。このうち中央に鎮座するのが、媽祖(まそ)という神様。航海の神様といわれており、長崎に来る中国船は必ず祀っていたそうです。長崎港に入った唐の貿易船の媽祖像は、入港とともに船から降ろされます。滞在中は唐寺にて安置、また出航の際は船に乗せていたとのこと。

白熱の「長崎くんち」

長崎諏訪神社の秋の大祭である長崎くんち。外国との交流が盛んな地域ならではの独特なお祭りで、龍踊(じゃおどり)やオランダ花車など、異国情緒あふれる演物があります。国の重要無形民俗文化財にも指定されている長崎を代表する祭りの1つです。

ボタン式のモニターが設置されており、練習風景や本番を映した実写映像で、その歴史や特徴を解説。現在は10/7〜9の3日間に行われておりますが、稽古始めとされている6/1の小屋入りの様子から見ることができます。

こちらは各町のシンボルである傘鉾。重さ100kg以上あるのですが、これをたった一人で担ぐそう。相当な体力と筋力が必要なこの役回り、それを専門にしている人が担当するそうです。

実際に写真が撮れる「上野撮影局」

貿易港として世界中の最新技術が集まる場所であった長崎。中でも印象深いのが写真の技術。

坂本龍馬が立っているこちらは写真家・上野彦馬によって開かれた上野撮影局。幕末に活躍した日本の写真家で、教科書でも見かける坂本龍馬や高杉晋作らの肖像写真を撮影した人物です。

来日した写真家から学び、独自の研究も加えて完成させた上野彦馬の写真術。これを学ぶために全国から人々が訪れ、その技術は各地へと広がっていきました。

ここでは、そんなレトロな雰囲気の中で撮影体験もできます!龍馬の隣に立ってボタンを押すと、スピーカーから上野彦馬の声が聞こえてきます。「はいっ!」の掛け声があったら、そこから15秒間動かないで静止!文字で見ると短く感じる時間ですが、実際にカメラの前で静止すると非常に長く感じます。途中で笑っちゃダメですよ!

撮影が完了すると、こんな感じで隣りのモニターに1分間だけ映し出されます。龍馬と2ショットが撮れる、楽しいコンテンツでした。

再現された「長崎奉行所」

江戸時代、長崎には幕府の役所である長崎奉行所が設置されていました。長崎は幕府直轄の地であったため、この奉行所が政治を行っており、通常の行政業務に加えて「西国大名の指揮」や「密貿易の取締」など様々な任務をこなしていたそう。

館内では、そんな奉行所がリアルに再現されています。毎週日曜には、役者さんによる寸劇も開催されているそうです。

ここは対面所と呼ばれる場所。たくさん並んでいるのは反物や象牙、毛皮などの貿易品。ここでは大改(おおあらため)と呼ばれる役人による貿易品のチェックが行われていました。

「潜伏キリシタン」の歴史

そんな長崎奉行の仕事の一つが、キリシタンの取り締まり。禁教令が施行された江戸時代、キリシタンに対して厳しい弾圧が行われます。宣教師や信徒を密告したものには銀貨100枚という報奨金まで与えられていたそう。

こちらのベールを被った観音像はマリア観音。表向きは仏教徒を装っていた信徒たちが拠り所としていた像です。

安土桃山時代末から明治時代に続く潜伏キリシタンの歴史を7枚にわたるパネルでしっかりと解説しています。伴天連追放令、禁教令、島原の乱、信徒発見、高札撤去と、一連の流れが非常にわかりやすく記載されており、これを読むだけでもかなりの理解が得られます。

一番最後に記載されている、キリスト教が許され信仰の自由の時代となった後の話は、他ではなかなか見かけない内容。

「潜伏キリシタン」「かくれキリシタン」、一見すると同じ言葉のようですが、実は区別して使用されています。前者が禁教令下において人目を忍び信仰を続けた信徒を指しますが、後者は禁教令が解けた後も教会に復帰せず潜伏期の独自の信仰を貫いている人を指します。現代においてもかくれキリシタンの信仰を存続している人々がいるそうです。

潜伏期の独自の信仰については、天草ロザリオ館&大江天主堂の記事にて少しだけ記載しています。

また、潜伏キリシタンについて興味がある方は、こちらの記事一覧もあわせてご覧ください。

「潜伏キリシタン」に関する記事一覧

五島列島、天草諸島、島原半島を中心に、日本各地に残る「潜伏キリシタン」に関わるスポットの記事をまとめました。

アクセスと営業情報

JR長崎駅から徒歩10分、路面電車の《桜町》から徒歩5分。車の場合は長崎自動車道の長崎芒塚ICから約10分。駐車場は30分150円ですが、見学者は3時間まで60分110円になります。

開館時間 8:30~17:00
休館日 第3月曜日
料金 630円
公式サイト http://www.nmhc.jp/

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