京都屈指の大型古墳。墳丘上に散策路があり、自由に見学できる石室も残されています。現在は稲荷神社へと姿を変えているため、信仰の証となるものが多数安置されていました。
住宅街に残る古墳
蛇塚古墳とあわせてめぐったのは、同じく太秦(うずまさ)の地に残る天塚古墳(あまづかこふん)。6世紀前半に造られたとされる前方後円墳で、蛇塚古墳に次ぐ大きさの古墳であるそう。
こちらもやっぱり住宅街の中にあります。マップに従い進んでいくと、赤い鳥居が見えてきました。わかりにくいですが、どうやらここが古墳の入り口のようです!

鳥居を抜けた先に見えてくる建物、提灯には伯清稲荷神社と記されています。神社のようですが、詳しいことはわからずです。あ、これは「神社古墳(※造語)」ですね!

石碑や石仏が並ぶ墳丘
神社からは玉垣が連なる道が山の中へと伸びています。おそらく墳丘上の道なので、進んでみることにしました。どうやらこの天塚古墳は墳丘上に上れる「クライミング古墳(※造語)」のようです。

墳丘上に上ると、橋姫稲荷大神、天龍大神などの石碑が多数並んだポイントが。もともとは古墳でしたが、その後信仰の対象となってきた様子が伝わってきます。

木々が生い茂る道をさらに進んでいくと、3つ並んだ石仏の姿も。

祠が安置された石室
この天塚古墳には2基の石室が確認されています。そのうち1基は公開されており、自由に見学が可能。
さきほどの森の中の道を一周し終えるかくらいのところで、その入口が見えてきます。

内部へ足を進めると、伯清稲荷大神の祠が祀られています。

暗くてよく見えなかったのでフラッシュを焚いてみると、多数の白狐とともに鏡が祀られておりました。

なお、石室は時計回りに一周するとゴール付近。もし石室だけを見学する場合は、神社に向かって右へ進むのが良さそうです。
秦氏と関連がある古墳
これにて古墳一周完了。気が付いたのですが、古墳らしいこと何も書いてませんね!
ということで、最後にまとめると、この古墳は6世紀前半に築造されたと考えられている古墳。形状は前方後円墳で、墳丘長は73m。この辺りでは、前回の記事に書いた「蛇塚古墳」に次ぐ規模を誇る大きな古墳であったようです。
現地の案内板によると、明治20年(1887年)に鉄刀や須恵器、馬具など400点の副葬品が出土しています。被葬者は、かつてこの辺りを納めていた秦氏一族の首長であると考えられています。

出ました、秦氏!!
前回の「蛇塚古墳」、前前回の「木嶋坐天照御魂神社」、前前前回の「広隆寺」にもその名が登場しましたね。
古代に半島より渡来し、嵯峨野一帯を開発したとされる一族。「太秦(うずまさ)」という地名をはじめ、その痕跡は多く残されています。彼らは各地に広がり、その後は「惟宗氏」や「長宗我部氏」など、様々な氏族のルーツとなっているそう。
もしかしたら「ひまわりの約束」などのヒット曲で知られる秦基博さんも、この秦氏がルーツなのかもしれませんね。
今回はまだ明るい日没1時間前に訪問したのですが、墳丘は背の高い樹木が生い茂っており、薄暗い空間。写真はGoogle Pixelのおかげで明るくなっていますが、実際は暗くて石碑や石仏はよく見えませんでした。あえて暗くすると、これくらいのイメージです。

暗い中で石仏や石室をめぐるのはなかなか度胸が試されるので、なるべく早めの時間の訪問をおすすめします!
アクセスと見学情報
地下鉄東西線の「太秦天神川駅」、または京福電鉄の「嵐電天神川駅」より徒歩12分ほど。
Google Mapに従うと、びっくりするくらい細い家と家の間の道を通ることに・・・!観光客が通るのは躊躇われたので、少し回り道して向かいました。
| 見学時間 | 24時間(おそらく) |
|---|---|
| 料金 | 無料 |
| 公式サイト | 不明 |
※掲載の情報は2025年9月時点のものです。


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