縁切り神社として注目を集めるスポット。「縁切り」ときくと、どろどろした人間模様が浮かぶ怖いイメージ。負のエネルギーに満ちているのでしょうか・・・?
お札に包まれた石碑
安井金比羅宮は、縁切り神社として注目を集めているスポット。清水寺、高台寺、建仁寺、八坂神社など人気の神社仏閣が並ぶ東山エリアにあり、境内は常に多くの人でにぎわっています。
境内に入るとすぐに目に入るのがこちらの縁切り縁結び碑。大量のお札が貼られており、異様な雰囲気を放っています。
こちらの参拝方法は形代(お札)に願い事を書き、碑をくぐり、さらにもう一度くぐって戻ってきます。その後、碑に形代を張り付ければ完了です。
非常に人気があり、なおかつ碑をくぐる姿で記念撮影も行ったりしているため、行列ができています。案内によると、お急ぎのときはくぐらずにお札を貼るだけでも良いそうです。
主祭神は崇徳上皇
縁切り縁結び碑に注目してしまいますが、まずは御本殿に参拝するというのが正式な参拝方法。
安井金比羅宮の主祭神は崇徳上皇。保元の乱に敗れて讃岐国に流罪となった人物です。もともとは崇徳上皇と縁のある「藤寺」であり、上皇が讃岐国で崩御すると、上皇自筆の尊影が奉納され、遺髪を埋める塚が築かれました。
その数年後、大円法師が藤寺に参拝すると、上皇の霊が現れたことから、崇徳上皇を祀る「光明院観勝寺」が建立されます。これがこの神社のはじまり。神社ではなく、寺院がルーツであったようです。
応仁の乱によって荒廃し、蓮華光院が移築されると、その管下に。崇徳天皇に加えて、讃岐の金刀比羅宮より勧請した大物主神と、源頼政公を祀ったことから「安井の金比羅さん」と呼ばれるようになりました。
明治時代の神仏分離令により安井神社へ。戦後に安井金比羅宮という名称へ変更されたそうです。
縁切りの由縁
この崇徳上皇 、菅原道真・平将門に並ぶ日本三大怨霊の一人にも数えられています。ダークなエピソードがあるのでしょうか?
前述の通り、讃岐国へと流された崇徳上皇は、その後仏教に帰依。3年かけた写経「大乗経」を京都の仁和寺に納めてもらおうとするも、後白河上皇は「呪詛が込められているのでは・・・」と疑い拒否、写本を送り返します。これに激怒した崇徳上皇は自らの舌を食いちぎり、その血で大乗経に「天下滅亡」と書き記して果てたと伝えられているそう。
「怨霊の力で縁切り」と書くとそれはそれは強力な力を感じますが、神社のHPによると縁切りの由来はそうではないようです。
12世紀後半に成立した歴史物語「今鏡」では恨みに関する記載は特にないそう。もしかしたら、江戸時代あたりにかなり盛られたストーリーなのかもしれませんね。
久志塚と櫛まつり
さて、せっかくお参りに来たのだからちょっと境内散策。御本殿の奥に見つけたのは久志塚(くしづか)。
ここは髪をとかす櫛(くし)を供養するためのもの。9月の第4月曜には、使い古した櫛やかんざしに感謝を込めて供養する「櫛まつり」が行われています。その中のイベント「時代風俗行列巡行」は、古墳時代から現代までの様々な髪型を全て地毛で結った行列が祇園界隈を練り歩くという非常に個性的なもの。
「髪型」をテーマにしたまつりはとっても珍しいので気になりますね!なお、久志塚のまわりのフェンスも櫛のデザインがあしらわれていました。
悪縁度がわかるおみくじ
最後におみくじを引いていこうと思います!ここ金比羅宮には、茶筒の「縁みくじ」と黒筒の「おみくじ」、2種類のおみくじがあります。ここはせっかくなので縁みくじに挑戦!
筒を振って出てきた番号を社務所に伝え、いただいたのがこちらのおみくじ。なんだか豪華な仕上がりです。
この縁みくじ、吉凶だけでなく一首の和歌が記されてます。現代語訳も添えられているので、なんとなくイメージはつかめます。
気になるのはおみくじの左下、『あなたがご縁を持っている方との悪縁度20%』という記載。おみくじで数値が出てくるってとても新鮮ですね!
でもこれ、少しだけ解釈に迷います。単純に数字だけみると縁がある10人中2人は悪縁ってことでしょうか?けっこう割合高く感じてしまいますね・・・!
アクセスと参拝情報
京阪本線「祇園四条」駅から徒歩10分、阪急京都線「河原町」駅から徒歩15分。
参拝時間 | 境内自由 |
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料金 | 無料 |
公式サイト | http://www.yasui-konpiragu.or.jp/ |
※掲載の情報は2025年3月時点のものです。最新情報は公式HPにてご確認ください。
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