銅閣と称される祇園閣を有する寺院。通常は非公開ですが、年に数回「特別公開」が行われています。長年気になっていたスポット、ついに内部を見ることができました!
金銀ときたら銅
突然ですが、「金」「銀」ときたらなんて答えますか?
「クリスタル」と答えたあなたは金銀世代。「パールプレゼント」と答えたあなたはクリーク海賊団、もしくはブルーダイヤ世代。・・・ではなくて、普通は「銅」と答えるかと思います。
京都には金閣と銀閣があります。銅閣はないのかな?きっと多くの人が考えたのではないでしょうか。
高台寺や圓徳院など、人気の寺院が集まる東山エリア。ねねの道と呼ばれる道路沿いに建つ大雲院は、「銅閣寺」とも呼ばれることがある寺院です。
通常は非公開の寺院ですが、春・夏・秋などに特別公開を行っております。今回ちょうど春の特別公開のタイミングに訪れることができたので、躊躇いなく訪問することに。
第二部:2025年4月26日(土)~5月6日(火)
時間:10:00~16:00
料金:1,000円
信長に縁のある寺院
創建は天正15年(1587年)であり、当初は二条新御所にあったそう。その後、昭和37年(1962年)に寺町通の四条へ移転、昭和48年(1973年)にこの地へと移りました。
本堂は1973年に鉄筋コンクリートにて造られたもの。内部に本尊・阿弥陀如来坐像を安置しています。
境内には織田信長・信忠碑も安置されています。この寺院は、もともと正親町天皇が織田信長父子の菩提を弔うために、貞安(じょうあん)によって開かれた寺院なのです。
石川五右衛門墓碑もあります。盗賊の頭領として捕らえられ処刑された五右衛門、生前に貞安は「必ず墓を建てて供養する」と約束していたそうです。
そびえ立つ祇園閣
さてさて、そんな境内にそびえ立つのは高さ36mの塔、祇園閣。高くそびえる城郭のような石垣の上にお堂が乗った不思議なデザインは、祇園祭の山鉾をイメージしているそうです。
屋根が銅板葺であることから、「銅閣」とも呼ばれています。
この祇園閣を建てたのは明治・大正期に活躍した実業家の大倉喜八郎。一代で大倉財閥を築き上げ、様々な企業の経営にも携わってきた人物です。活動の場は東京でしたが、京都に惹かれた喜八郎はこの地に別荘を建立しました。
現在は大雲院の境内ですが、この祇園閣はもともとはお寺の建築ではなかったのです。
限定公開の内部
この祇園閣、内部に入ることもできます。
昭和48年(1973年)にお寺の所有となり仏閣へと変わった祇園閣。内部には阿弥陀如来像が安置されました。その後、昭和63年(1988年)に内部の壁面に「敦煌」(とんこう=中国の都市)の壁画が模写されています。洞窟内部のような神秘的な雰囲気ですが、残念ながら撮影禁止。
最上階からは、知恩院、八坂神社、霊山観音、八坂の五重塔などを一望できます。物凄く良い眺めなのですが、なんと景色も含めて撮影禁止。その理由というのが、周辺民家のプライバシー保護のためであるそう。祇園界隈屈指の高層建築、ここから見られることは想定してないはずです。
伊東忠太の幻獣
設計を担当したのは伊東忠太。「平安神宮」や「橿原神宮」など数多くの神社仏閣を手掛けてきた建築家です。
この伊東忠太、大の「妖怪・動物好き」としても知られています。彼の代表作である築地本願寺には翼の生えた獅子やクジャクなど様々な生き物が隠れていました。
その趣味が反映されているのか、入口前に置かれた獅子は狛犬よりもエキゾチックな仕上がり。
屋根にそびえた銅柱のてっぺんにも翼を広げた鶴の姿が。さらに入口の銅扉にも鶴が刻まれています。大倉喜八郎の幼名は鶴吉、のちに鶴彦と称し、晩年は鶴翁と呼ばれていたそう。そのため、この鶴は大倉自身を表しているそうです。
他にも、内部には不思議な造形のモンスターが抱える照明も備わっています。もし内部に入ることができましたら、隅々までじっくりとご見学くださいね!
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