キリシタン文化が根付いていた竹田市。禁教令の時代に隠れて礼拝が行われた洞窟が、今も状態良く遺っています。静謐で神秘的な空気が漂うスポットであり、多くの人の想いを感じる場所です。
多数のキリシタンが暮らす町
豊後(現・大分県)では、キリシタン大名であった大友宗麟がフランシスコ・ザビエルを招いたことから布教がはじまります。
大友氏の家臣であり、岡城主である志賀親次(しが ちかつぐ)は、1584年にキリスト教の洗礼を受けてドン=パウロという洗礼名を得ます。その影響もあり、この地には多数のキリシタンが暮らしていました。
豊臣秀吉、続く徳川家康によってキリスト教を禁止とする禁教令が発布されると、キリシタンに対する厳しい弾圧が行われます。ある者は改宗に応じ、ある者はそれを拒み拷問で命を落とし、またある者は信仰をひたすら隠す潜伏という道を選びました。
それまではキリスト教に寛容であった岡藩も例外ではなく、1619年に宗門改めを開始。翌年から厳しい弾圧がはじまります。そんな潜伏キリシタンの時代、信徒たちが人目を忍んで礼拝を行ったという洞窟礼拝堂が、今も竹田市には残っています。
志賀親次は、豊薩合戦において一万田城に囚われた5人の島原の武将を救出。その武将たちが島原へキリスト教の教えを持ち帰ったことにより、島原半島ではキリスト教が普及したともいわれています。
街なかに残る信仰の跡
潜伏キリシタン関連のスポットの多くは、山奥や離島など人里から離れた場所にあります。しかし、この洞窟があるのは、比較的町の中心部。
注意点は、近くに駐車場が無いこと。ちらっとのぞくつもりでも、周辺は路上駐車できるようなスペースすらありません。
「竹田市歴史文化館・由学館」から歩いても徒歩5分程度なので、そこに停めて向かうのが一般的。今回はまちなかで祭が開催されており、通行規制が複雑であったため岡城跡から歩いて向かいました。1kmの道のりで、15分ほどです。
武家屋敷の奥にある洞窟
キリシタン洞窟礼拝堂へは、竹田の人気観光スポットである武家屋敷通りから脇道へと入って行きます。この武家屋敷というのもポイントで、実は武士たちがキリシタンを匿っていた、とも言われています。
細い上り坂の道を進みます。マニアックな雰囲気の場所ですが、案内板が設置されているためわかりやすい。観光案内マップにもしっかり載っております。
ここで左側のさらに細い道へと進みます。スロープと階段の先に、白い枠がはめられた洞窟が見えてきました。
木々に包まれた礼拝堂
ここは、かつて礼拝堂として機能していた洞窟。内部は幅3m、奥行3m、高さ3.5mと、外からみるよりも広い空間となっています。
枠の隙間から中を覗いてみると、祭壇状遺構が残っています。かつてここには金色のマリア像があったとも伝えられているそうです。
洞窟礼拝堂の隣には、もう一つ洞窟が。ここは、2人の司祭が隠れ住んでいたとされています。こちらは柵があるため中を見ることができませんでしたが、かなりの広さがあるようです。
竹田キリシタン資料館
竹田市のキリシタン文化について興味が湧いた方におすすめなのが、豊後竹田駅の近くにある竹田キリシタン資料館。キリシタン洞窟礼拝堂から歩いても12分ほどなので、合わせての訪問がおすすめです。
1部屋だけの小さなミュージアムですが、竹田に伝わるキリシタン遺物が多数。「サンチャゴの鐘」や、キリスト教の影響を受けた「異相地蔵」など、様々な内容が盛りだくさん。
キリシタン洞窟礼拝堂に関する資料もあり、扉が開いた状態の写真も展示されていました。
ということで、次回はこちらの資料館について書きますね!
コメント
[…] […]