レプリカ大砲が鎮座する洞窟式砲台『豊予要塞 佐田岬砲台跡』(伊方町)

愛媛県

四国の最西端となる佐田岬には、かつて大日本帝国陸軍によって設置された砲台跡が残されています。整備された洞窟の中を進んで行くと、レプリカ榴弾砲の姿が・・・!

訪問日:2021/12/11(土)

島に造られた佐田岬砲台

大分県の佐賀関と愛媛県の佐田岬に挟まれた豊予海峡防備のために設置された豊予要塞。高島砲台、関崎砲台、丹賀砲台、鶴見崎砲台など合計10ヶ所によって構成されていました。今回ご紹介する佐田岬砲台もそんな豊予要塞を構成する砲台の一つです。

佐田岬の先端に浮かぶ小さな離島・御籠島(みかごじま)には、佐田岬砲台の第4砲台が設置されていました。

御籠島はもともと本土から離れた離島でしたが、1967年に畜養池という捕獲した海産物を蓄えておく畜養池がつくられたことにより陸続きに。漁協所有施設でしたが、2017年に整備が行われ、内部の見学が可能になります。

佐田岬灯台のすぐ近くにあるので、灯台を目指してドライブしたついでに立ち寄るにもおすすめな戦争遺跡です。

レプリカ大砲が置かれた砲台跡

島へ渡ると、ぽっかりと空いた砲台への入口が見えてきます。しっかり整備されており、とっても歩きやすい道が続いています。

内部もかなりキレイ。コンクリートで補強されており。照明もばっちりです。数ある戦争遺跡の中でも、かなりカジュアルに訪問できる場所ではないでしょうか。

奥へ進むと、鎮座する大砲の姿。レプリカですが砲台のイメージがしやすく、雰囲気も抜群です!ただし、大砲の手前には柵が設置されており、近づくことはできませんのでご注意ください。

この大砲は三八式十二糎榴弾砲。明治時代にドイツのクルップ社に発注したもので、太平洋戦争時には計4門配置されていました。とはいえ、最大射程5,680mのこの旧式砲、戦艦が相手ならまだしも戦場が空へと移った太平洋戦争では心許ない戦力だったのではないでしょうか。

外から眺める洞窟式砲台

洞窟から出て外へまわってみると、先程の洞窟式砲台跡を外側から見ることができます。風化したモルタルのアーチがなんともいえない郷愁を誘います。

目の前まで行くと近すぎてよく見えなかった佐田岬灯台も、御籠島からはとてもキレイに見えます。海の上に凛とそびえる姿がとっても美しい。

水色と白のさわやかなモニュメントは、「永遠の灯(とわのあかり)」。よりそう2つの柱は、灯台のカタチをくっきりと描いています。

佐田岬灯台の下をの方の岩肌をよく見ると、洞窟砲台らしき跡が見えます。見学は不可ですが、あちらにも洞窟式の砲台が設置されていたのですね~。

おまけで移動式探照灯格納庫

佐田岬灯台駐車場から佐田岬灯台へと向かう道も、かつて砲台への輸送ルートとして築かれた道。そのルート上には、移動式探照灯格納庫も残されています。かなりしっかりとしたコンクリート建築で、保存状態も良好です。

探照灯(照空灯)というのは強力な光線を発射するサーチライト。レーダーが実用化される以前は、このライトによって対空砲のターゲットを照らしたり、夜間爆撃の防御手段として使用されていたそう。

ライトで照らしたくらいで爆撃を防ぐことなんてできるのでしょうか?そう思っていたのですが、光で照らすことで高射砲の的にしたり、光学照準器を使用不能にしたり、はたまた敵兵に対する心理的効果などが期待できたそう。特に大型の爆撃機は機動性が低いため、一度照らされるとそこから脱出することは難しかったそうです。

とはいえ、先ほどレプリカのあった榴弾砲では太刀打ちするのは難しいですが、周辺の第1砲台・第2砲台にはカノン砲も設置されていたそうですので、なんとか抵抗することはできたのかもしれませんね。

時間のかかるアクセス

佐田岬砲台跡は、佐田岬半島の先端にあります。松山市街地から車で2時間30分、八幡浜市街地からも1時間15分ほどかかります。

さらに近くまで車道は延びていないため、灯台の駐車場から距離1,500m、徒歩約25分の道のりを歩く必要があります。道中にはトイレしかありませんので、特に夏場は日よけや飲み物の用意をお忘れなく!

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