現存天守『宇和島城』が五角形につくられた理由とは?(宇和島市)

愛媛県

宇和島市街地の丘の上にそびえる宇和島城。江戸時代の建築がそのまま残る、歴史を感じる城郭です。不等辺五角形という不思議な形をしており、築城の名手と謳われた藤堂高虎によるからくりが仕込まれていました。

訪問日:2021/12/10(金)

石段を登り本丸へ

駅から向かう場合は、最初に見えてくるのが藩老桑折氏武家長屋門(はんろう こおりし ぶけながやもん)という、非常に名前の長い門。ここから天守閣までは10分ほどの上り坂となります。

思ったよりも険しい石段が続きます。木々に包まれた姿は、まるで熊野古道のようです。

そびえる石垣は築城の名手と言われた藤堂高虎によるもの。よく見ると角の部分は石が整形されてキレイに整っています。これは「切り込みハギ」と呼ばれる積み方で、幕末に補修されたと考えられているそう。

丘の上に建つ天守閣

ついに本丸に到着!そこには独立式層塔型・三重三階の天守が建っています。白く輝く姿がとっても美しい。

天守の内部は200円で見学可能。史料展示などがありますが、天守自体が小ぶりなので規模は小さめ。なお、階段はかなり急勾配なので服装にはご注意ください!

最上階となる3階からは、宇和島の町並みをぐるっと一望できます。宇和海が広がる様子がなんとも爽快です!

縦に柱が立てられた「武者窓」と呼ばれるタイプの窓。この柱は五角形になっております。これは、弓矢や鉄砲をより広角で狙えるようにするためのアイディア。たしかにこの隙間から鉄砲を通すことを考えると、かなり広範囲を狙えそうです。

モデルチェンジした天守

宇和島城の天守は、江戸時代以前に造られた建築がそのまま残る現存天守。地震や明治時代の廃城令、空襲など様々な困難によって多くの建造物は失われていきますが、天守は奇跡的に維持され現在に至ります。

宇和島城は、伊予国の大名となった藤堂高虎によって1596年に築城されました。築城の名手と呼ばれた高虎の城郭が残っているのか・・・と思いきや、江戸時代に入ると、 伊達政宗の長男である伊達秀宗が入城し、天守の建て替えを行います。現存しているのは、このときに建て替えられた天守なのです。

藤堂高虎時代の天守は絵図によるとこんな感じであったそう。

左が現存している伊達秀宗の寛文天守、右が藤堂高虎の慶長天守。かつては望楼型でしたが、層塔型へとスタイルチェンジもしています。
ちなみに、この層塔型という様式、実は藤堂高虎が普及させたとも言われています。しかし、層塔型天守は関ヶ原の戦い(1600年)以降に生まれたニュースタイル。宇和島城を建てた頃はまだ層塔型は生まれていなかったようです。

五角形の海城

今でこそ海から少し離れた土地に建つ宇和島城ですが、当時は海に面していた「海城」であり、海水を引き込んだ堀もめぐらされていました。案内板に記載されている絵図を見ると、まるで島のように海に浮かぶ様子がわかります。

この絵図を見ていて気になるのは、城郭のカタチ。不等辺五角形という、一見するとアンバランスなつくりになっています。これは、藤堂高虎が意図的に仕組んだからくりと考えられております。

平面から見ると四角形の城郭と錯覚するように計算されていたそうで、攻め手に対して死角を作ることができました。そのポイントから兵の出撃、物資の搬入、さらに退路を作り出すことも想定していたそう。

幕府の隠密ですら五角形を四角形と見誤ったというエピソードも残されており、「空角の経始(あきかくのなわ)」と呼ばれていたとのことです。

※さらっと書いてしまいましたが、「空角の経始(あきかくのなわ)」ってどういう意味でしょうか?「空角」はなんとなくイメージつきますが、経始(なわ)は初めて見る単語です。気になって調べてみたところ、「経始=測量」という意味があるそう。ただし「けいし」と読むのが一般的なようです。

アクセスと営業情報

JR宇和島駅から徒歩約10分。車の場合は宇和島朝日ICから約5分ほど。駐車場は市営城山下駐車場というコインパーキングがあり、1時間100円で利用できます。

営業時間 開門:6:00~18:30 ※11~2月は6:00~17:00
天守:9:00~17:00 ※11~2月は9:00~16:00
休館日 年中無休
料金 天守:200円
公式サイト https://www.city.uwajima.ehime.jp/site/uwajima-jo/ujoushiro.html

※掲載の情報は2022年1月時点のものです。最新情報は公式HPにてご確認ください。

コメント

タイトルとURLをコピーしました