縄文土器にはじまる日本のやきもの。弥生土器や土師器、須恵器と進化を続け平安時代になると、緑釉(りょくゆう)陶器や灰釉(かいゆう)陶器といった釉薬(ゆうやく=うわぐすり)を塗った陶器が完成します。
安土桃山時代になると陶器は隆盛を極め、美濃の黄瀬戸・志野・織部や、信楽、唐津などバリエーション豊かな作品が多く作られていきました。また、美濃焼に加えて、中世から現代まで続く古い窯である信楽、瀬戸、常滑、丹波立杭、越前、備前を「六古窯(ろっこよう)」と呼びます。
豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に連れてこられた朝鮮人陶工の手によって、日本初の磁器が造られます。世界でも最先端の技術であった磁器の製造方法は、有田、波佐見、伊万里などへと広がり、九州は磁器製造の一大産地へと変貌を遂げます。
近代の産地として有名なのが笠間と益子。江戸時代末期に窯が開かれ、当初は大都市・江戸への出荷を目的とした日用品を中心に製造していました。やがて、優れた作家が集まり芸術性の高い物も多く作られるように。この流れは現代にも続いており、斬新で型にはまらない作品も多く製造されています。