長野県の下諏訪町にある万治(まんじ)の石仏は、どこかユーモラスな姿をした不思議な石仏。誕生にまつわる伝説や、刻まれた不思議な紋章、そして人々をひきつけるパワーと、知れば知るほどその魅力は増していきます。諏訪大社下社への参拝と合わせての訪問がおすすめです。
江戸時代につくられた石仏
「万次の石仏」があるのは、長野県の諏訪湖北部に広がる下諏訪町。諏訪大社の下社春宮から徒歩で5分ほど、砥川を渡った森の中に鎮座しています。
高さは2m60㎝と、人の背丈よりわずかに大きい。マグマが冷えて固まった安山岩によって造られています。
この石仏は、江戸時代である万治3年(1660年)に建立されました。誕生には伝説が残されており、要約するとこんな感じです。
ちなみに万治という元号は非常に短く、わずか2年9ヶ月の期間しかありません。江戸時代には大きな災いがあった際に改元を行う「災異改元」が多く行われており、この万治も明暦の大火などの災害によって1658年に改元されました。1661年にまた火災によって次の元号である寛文へと変わっていきます。
独特な参拝方法
万治という名前は、万(よろず)治まると書くため、物事を丸く治めるご利益があると信仰されています。
その参拝方法は少し独特。近くには、わかりやすく記した立て札も設置されていました。
1. 正面で一礼し「よろずおさまりますように」と念じる
2. 願い事を心で唱えて石仏のまわりを時計回りに3周
3. 正面に戻り「よろずおさめました」と唱えて一礼
拝観に訪れた人々は、みな石仏の周囲をぐるぐる回っております。遠目で見ると、すごく不思議な光景ですね。
アンバランスなデザイン
大きな体に対してとっても小さな頭が乗っかった、非常にアンバランスな造形をしております。一般的な仏像の形とは大きくかけ離れており、顔一つとってもモアイ像のような面長に作られています。
この頭部は支柱によって支えられているため、地震がおこっても落ちてしまうことはありません。しかし、一時はその支柱の隙間にたまった水が氷ることで、年々首が伸びるという現象もあったそうです。
最初、えらく丸っこい体付きだと思ったのですが、よく見ると正面には阿弥陀定印のような印を結んだ腕と、胡坐を組んだ足が彫られています。大きな岩そのものが体というわけではなく、岩に彫って造る仏像・摩崖仏のような見方をするべきなのでしょう。
刻まれた紋章と逆さ卍
腕や脚とともに象形文字のようなミステリアスな記号が刻まれています。卍も見ることができるのですが、よく見ると逆様の卐になっています。
卍(左万字)=お寺の地図記号として知られていますが、卐(右万字)を見るとついついハーケンクロイツ(鉤十字)を連想してしまいます。しかし、そもそもヒンドゥー教では卍と卐両方の模様が存在しており、卍は「和の元」、卐は「力の元」とされていました。
また、密教の胎蔵曼荼羅に記されている一切如来智印には卐が描かれております。この万治の石仏の模様も曼荼羅を表していると考えられています。
有名人も引き寄せるパワー
御柱祭を見るために下諏訪を訪れた岡本太郎は、案内されたこの石仏を見て絶賛。
それまでは特に名前がありませんでしたが、刻まれた「万治三年十一月一日」から万治の石仏と命名します。全国紙などでこの石仏を紹介し、一躍脚光を浴びました。
また、諏訪市出身の小説家・新田次郎は、1977年に出版された「鷲ケ峰物語」において「万治の石仏」という短編小説を発表しています。イースター島のモアイ像と関連付けた作品とのことです。
近年では、不思議な場所や珍スポットといったカテゴリで紹介されることも多く、2021年4月にテレビ東京の「Mr.都市伝説 関暁夫の情熱!関さんぽ」 という番組でも宇宙と繋がるポイントとして紹介されていました。
豊富なグッズ展開
このユーモラスなデザインの石仏、様々なグッズも作られています。
すぐ近くにある「おんばしら館よいさ」では、万治の石仏型の土鈴を販売。ミニチュアの石仏を自宅にかざることができます。
また、「しもすわ今昔館おいでや」ではバンダナや手ぬぐい、「オルゴール館すわのね」ではオルゴールなども販売しているそう。
さらに「パン工房たるかわ」では万治パン、「信州手焼きせんべい本舗」ではせんべい、「フレール洋菓子店」ではクッキーと、食べ物にも展開しています。あちこちで販売されている万治の石仏グッズを探してみるのも、下諏訪散策の楽しみ方の一つです。
アクセスと営業情報
中央本線の下諏訪駅から歩いて約25分ほど。車の場合は岡谷ICから約10分ほど。諏訪大社の下社春宮に近いため、春宮前の駐車場に停めるのがおすすめです。
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