旧町名復活運動で甦った『主計町茶屋街』(金沢市)

石川県

落ち着いた雰囲気が魅力の主計町(かずえまち)茶屋街。2つの坂道に挟まれた街は、まるで異世界のような静けさ。気になる名前の由来、そしてかつて行われた「旧町名復活運動」についても調べてみました。

訪問日:2022/11/18(金) ※掲載の写真・情報は訪問時のものです

静かな茶屋街

主計町茶屋街は、明治時代に「東の廓」(現:ひがし茶屋街)が手狭になったことから新たにつくられた茶屋街。ひがし茶屋街、にし茶屋街とともに「金沢の三茶屋街」のひとつとして数えられています。

風情あふれる町並みが保存されており、ひがし茶屋街と同じく重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。他の茶屋街に比べると観光客向けのお店はほとんど無いため、基本的には景観を楽しむのがメインになりそうなスポットです。

金沢駅からバスで10~20分ほど、歩いても25分ほどの距離。また、近江町市場から徒歩10分、兼六園からは徒歩15分ほど。ひがし茶屋街のすぐ近くにあるため、合わせての訪問がおすすめです。

暗がり坂から茶屋街へ

主計町茶屋街への入口は多数ありますが、おすすめは久保市乙剣宮から。

素戔嗚尊を祀る神社で、金沢における市場発祥の地とされています。なお、「久保市乙剣宮」の読み方は「くぼいちおとつるぎぐう」。初見で読めた人はすごいです。

社殿の右奥へ進むと、主計町茶屋街の入口となる暗がり坂へとつながります。

昼間でも薄暗い石段が続く坂道。細くて控えめな道は、何となく隠し通路のような雰囲気も。降り積もる落ち葉の彩りに風情を感じます。

ここは金沢の町を支えた旦那衆たちが、人目を忍んで通っていたとされる茶屋街。「大人の隠れ家」と呼べる世界が広がっていたのでしょう。

あかり坂から外の世界へ

坂を下りた先に広がる茶屋街。細い路地には千本格子が立ち並びます。

ひがし茶屋街と比べると、びっくりするほど静か。ノスタルジックな景観も相まって、まるで違う世界に迷い込んだかのような気持ちになります。

「昼間は営業している店が少ない」「夕方になると三味線の音などが聞こえてくることも」と耳にしていたので夜に訪問してみましたが、観光客の姿はもちろん、人の気配すら感じません・・・!

姿が見えないだけであって、扉の向こうには人が静かに集まっていたりするのでしょうかね。

さらっと散策は終わり、もう一つの坂であるあかり坂へ。もともと名前の無い坂でしたが、2008年に地元住民から依頼を受けた作家・五木寛之氏が命名。

この坂を登り少し歩くと交通量の多い城北大通りへ。一気に現実の世界に戻ったような気持ちになります。

富田主計は何者か

金沢の三茶屋街のうち、「ひがし茶屋街」と「にし茶屋街」は方角を冠しているためイメージしやすいのですが、「主計町」はというのは何を指しているのでしょうか?

この主計というのは加賀藩の重臣である富田主計(とだかずえ)という人の名前。この地に屋敷があったため、主計町という名が付いたといわれています。

富田主計とはどのような人物であったのか、調べて見てもなかなか情報が出てきません。ネットで検索しても、主計町の説明で名前が出てくる程度で、Wikipediaすらないという状態。著名な人物かと思っていたので少し意外です。

金沢市のHPを見ると「禄高1万石余の人持組頭」との記載があります。人持組頭というのは、加賀藩における大名家老で軍団長的な役割の重役。別名「加賀八家」とも呼ばれる重臣ですが、こちらを調べてみてもそこに「富田主計」および「富田家」の名前は出てきません。人持組頭ではなく人持組には「富田治部左衛門家」という記載があります。富田治部左衛門といえば、前田利家に仕えていた富田景政のこと。その養子が富田重政であり、さらにその子が冨田重家。この重家こそが町名となった主計であるようです。

この重家、豊臣五大老の一人である宇喜多秀家と前田利家の四女である豪姫の間に生まれた理松院を妻としております。藩主である前田家との血縁があることから、なかなかの有力者であったのではないでしょうか。

旧町名復活運動とは?

昭和に施行された「住居表示に関する法律(住居表示法)」。このモデル都市として指定を受けた金沢市では、非常に多くの町名が消滅しました。この主計町も1970年に尾張町の一部になり、一度町名が消滅します。

しかし、歴史ある町名を偲ぶ声から1996年に旧町名復活委員会が結成。旧町名復活運動が行われて1999年に再び「主計町」という名を取り戻しました。

長崎県長崎市の「銀屋町」「東古川町」、埼玉県鴻巣市の「本一町」「宮本町」、近年では東京都千代田区の「神田三崎町」「神田猿楽町」など日本各地でこのような旧町名復活は行われていきますが、実はそのはじまりとなったのがここ主計町。

この復活を皮切りに、金沢市内でも「飛梅町」や「南町」など多数の町名が復活していきます。旧町名推進条例が制定され、金沢市のHPでは「金沢市旧町名復活審議会委員」募集も行っています。この先も、この運動はまだ続いて行きそうな予感です。

ところで、町名復活=住所変更となるため、住民にとってはいろいろと負担が増えるのでは・・・。そう思ったのですが、金沢市では世帯主に20,000円、集合住宅の所有者には10,000円、店舗・事業者の代表者には150,000円の支援があるそうです(※2022年11月時点)。また、古くからそこに住む人と、転入してきた人との間で議論で議論の場ができたという意見も。

賛成・反対で意見が割れることも多いと考えられますが、このような動きが地域の活性化につながるのでしょうね。

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