フィクションの世界ではおなじみの大妖怪・九尾の狐。実は日本各地にその伝説が残されています。今回紹介する化生寺には、近づく者の命を奪うといわれる殺生石が安置されています。この石は九尾の狐と関連があるのですが、いったいどのような繋がりなのでしょうか。
九尾の狐伝説が残る寺院
岡山県真庭市に勝山地区は、かつて出雲街道の宿場町として栄えていました。現在でも白壁の蔵や、木造家屋が多く残されており、岡山県で最初に「町並み保存地区」にも指定されました。
そんな情緒あふれる町並みに建つ化生寺(かせいじ)。十一面観音菩薩を本尊とする曹洞宗の寺院で、玄翁という和尚によって開かれました。
この寺には、妖怪・九尾の狐にまつわる伝説が残されています。
命を奪う殺生石
境内の一角、玉垣が何かを取り囲んでいます。この場所の地下には殺生石という石が埋められているそう。
この石は、大妖怪として知られる九尾の狐に関連の深い石。九千年を生き永らえたという九尾の狐は、唐より帰国する吉備真備の船で日本へと渡ってきます。そこから長いこと身を隠していましたが、400年ほど経った後、「玉藻の前」となり、鳥羽法皇の寵愛を受けるようになります。
あるとき、近衛天皇が重い病を患ってしまいます。陰陽師・安倍泰成が祈祷したところ、その原因は玉藻の前に化けた九尾の狐であると見抜きます。
正体を暴かれてしまった九尾の狐は那須野原へと逃れるも、上総介広常・三浦介義純らによる討伐軍が後を追います。追い詰められた九尾の狐は、最終的に石へと姿を変えます。その石は毒を放ち、近づく人や動物の命を奪い続けたため、殺生石という名が付けられました。
実際にこの寺院にある殺生石は、その姿はほぼ見えません。危険な石なので迂闊に人が触ったりできないようにしているのかもしれませんね。
日本各地に残る殺生石
実はこの殺生石、日本各地に存在しています。那須湯本温泉をはじめ、殺生石の伝説が伝えられていたり、実際に殺生石とされる石が祀られていたりします。
各地に類似の伝説があるのかと思いきや、実はこれらの殺生石はもともと1つであったもの。毒を放つ殺生石に対して、曹洞宗の僧である玄翁が一喝。石はばらばらに砕け散って日本各地の「高田」という地に飛び散って行ったそう。
その場所と言われるのが、越後国高田(新潟県上越市)、安芸国高田(広島県安芸高田市)、豊後国高田(大分県豊後高田市)、会津高田(福島県会津美里町)といわれています。
勝山は高田ではない?
あれ、この化生寺があるのは勝山という地区。高田ではないのに殺生石伝説があるのはなぜでしょうか・・・?何気なく真庭観光WEBにて化生寺の紹介ページを見ていると・・・
十一面観音菩薩を本尊とする曹洞宗の寺院。鎮守として九尾の狐・玉藻前伝説の殺生石が祀られています。春になると、梅の並木と裏山の河津桜が咲き並びます。(勝山の旧地名は高田です。)
説明文の最後に()書きで貴重な情報が!そう、この地も高田であり、「美作高田」と呼ばれていたのです。これですっきりしましたね!
でも、文章の最後に表れる()書きはすごく不自然。「殺生石=高田」の話を知らない人が見たら、なぜ唐突に旧地名について加えたのか疑問に思いそうです。
玄翁和尚ゆかりの寺院
さてさて、さきほど殺生石を砕いたのは玄翁という僧と書きましたが、この名前にピンと来た方はかなり鋭い!
冒頭でさらりと書いておりますが、実はこのお寺を開いたのも玄翁。つまり、この和尚は殺生石を割った後、飛び散ったこの美作高田の地に訪れ、それを鎮めるためにお寺を開いたのです。
金槌のことを「玄能」と呼ぶことがあるそうですが、実はこれは殺生石を割った玄翁に由来しているそうです。
なお、この玄翁和尚は殺生石だけでなく毒龍を退治したという伝説も残っています。もしかしたらあまり知られていないだけで、ギリシャ神話のヘラクレスのようにたくさんの伝説を持っている人物なのかもしれませんね。
アクセス情報
姫新線の中国勝山駅から徒歩7分ほど。車の場合は米子自動車道の久世ICから20分ほど。お寺の目の前に参拝者用の駐車場があります。
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