紅葉映える天空の木造天守『郡上八幡城』(郡上市)

岐阜県

八幡山の山頂で荒々しい石垣の上に建つ立派な城郭。模擬天守でありながらも、木造建築のため趣たっぷり。紅葉の名所としても知られており、シーズン中は非常に混雑します。駐車場やタイミングは注意が必要です。

2020/11/22(日)

迫力の城郭

城山駐車場から歩くとすぐに、真っ白な漆喰塗りの天守が見えてきます。高さ17.18m・4層5階の立派な天守で、入り組んだ石垣の上にずっしりと構えます。

近づいていくと、隅櫓とそれを支える野面積みの石垣が迫ってきます。積まれた石は、上部と下部で色味が異なっています。おそらく、下部は戦国時代の創建時・および改修時に積まれたもので、上部は再建された昭和に追加されたものではないでしょうか。

木造の模擬天守

郡上八幡城は、1559年に遠藤盛数がこの地に陣営を築いたのがはじまりとされております。

明治時代に入ると廃藩置県により郡上藩は廃藩になり、お城は取り壊しとなってしまいます。現在建っている天守は1933年に木造で再建されたものとなります。

近代天守では淡路島の洲本城・大阪城に続いて3番目に古い歴史を持ちます。前者2城は鉄筋コンクリート製なため、この郡上八幡城は最も古い木造再建天守ということになります。

この天守、実は「模擬天守」。模擬天守というのは、もともと天守が無かった城跡に近世になってから天守を作り上げたパターンに使うコトバ。多くの場合、町おこしの観光資源や、復興のシンボルとして作られています。この郡上八幡城は、大垣城を参考に造られました。

風情ある天守閣内部

城内は歴史資料を展示した博物館。模擬とはいえ90年の歴史ある木造建築なので、江戸以前に造られた現存天守と見紛うほどの風格。

1層と2層が吹き抜けとなっており、なんともワクワクする設計。なかなか急な階段を登りますが、靴は脱がず土足で大丈夫です。

最上階からは、郡上八幡の町並みが一望できます。ほんのり紅葉の残る尾壺山と、その傍らでうねる吉田川が美しい。左奥には車が行き交う東海北陸自動車道が見えます。

知られざる大名・遠藤慶隆

城主であった遠藤氏という戦国大名についてあまり知識が無かったので調べてみました。築城主である盛数の子である遠藤慶隆(よしたか)の戦いの歴史をさらっと書き出すと・・・。

志賀の陣では織田方につくも大敗
・信長の家臣として姉川の戦い比叡山焼き討ちに参加し勝利
小牧・長久手の戦いでは羽柴方につくも敗退
小田原攻めで豊臣方につき勝利
関ヶ原の戦いで東軍(徳川方)につき勝利
大坂の陣では徳川方につき勝利

序盤を除けば、大きな戦いではほぼ勝者側についている勝ちパターン。それゆえ、あまり目立つことが無かったのかもしれません。

ただ一度、1583年の立花山の戦いにて羽柴秀吉と対立してしまいます。加茂郡へ転封となってしまいますが、関ヶ原の戦い後に再びこの地に帰ってくることに成功します。

アクセスと営業情報

郡上八幡駅からまめバスで約13分のバス停《城下町プラザ》にて下車、そこから徒歩で約15分ほど登ります。

また、名古屋駅や岐阜駅からの高速バスも出ています。こちらは城下町プラザに停車するため、お城までアクセスしやすいです。

車の場合は、東海北陸自動車道の郡上八幡ICから約7分。お城のすぐ近くの山頂には約20台駐車できる無料駐車場があります。

開館時間:9:00〜17:00 ※季節により変更あり
休館日:12/20~1/10
料金:320円

紅葉シーズンは要注意

この郡上八幡城は紅葉スポットとしても知られています。ただし、この時期は非常に混雑するので要注意。

特に車で紅葉時期の郡上八幡城へ向かう場合、駐車場の混雑具合がシビア。山頂駐車場は拡張していましたが、それでも30〜40台ほどしか停めることがでません。

また、そこまでの道のりは一方通行の細い山道。カーブだらけの上り坂であるのに加えて、途中渋滞することもあり、登りカーブで停止することも多いです。排気量の少ない車だと大変ですが、かといって大型車だと道幅が狭いのでもっと大変。

さらにこの道は、徒歩で目指す人も多く通行します。歩行者を気にしながら細い山道を登るのはなかなかハード。

麓と山頂には係の人がいるため、その様子次第では麓の城山公園駐車場に停めて、歩いて登った方が安心かもしれません。紅葉シーズンに郡上八幡に訪問予定の方、他の観光スポットよりもまず先に、朝一番でお城へ行くのがおすすめです。

なお、11月上旬にはライトアップも行っているそうです。期間は10日間ほどですが、その間は21:00まで開門しています。

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