東京で最も古い神社の一社である五條天神社。名前の通り天神信仰ともかかわりのある神社です。すぐ隣には、いくつもの鳥居が続く花園稲荷と、その元宮である穴稲荷も存在しています。
都内最古の神社
上野公園、不忍池近くにある五條天神社。御祭神は大己貴命と少彦名命。医薬の道の祖神として尊祟されています。
この神社は、ヤマトタケルが東征の際に両神に救われ、この地にお祀りしたのが始まり。ヤマトタケルが生きていた時代というのは、相当昔なのではないでしょうか。気になったので調べてみたところ、この神社の創建は西暦110年と伝わっています。創立1910年と、かなり古い歴史を持つ神社ということがわかりました。
もしかして都内最古の神社なのでは?都内の神社の創建年を調べてみると、大國魂神社、根津神社、榊神社の3社も五條天神社と同様に創立1900年を超えているそう。五條天神社を加えた4社が、おそらく都内最古の神社ということになりそうです。
<2021年11月追記>
その後、御岳山へ行ってみたところ、武蔵御嶽神社は社伝によると崇神天皇7年創建とのこと。西暦になおすと紀元前91年となるため、都内最古は武蔵御嶽神社という可能性があります・・・!
天神・菅原道真との関係
天神社の名が示すとおり、菅原道真を祭る天神でもあります。
大宰府へ左遷され、失意の元に命を落とした道真。彼がこの世を去ってから、京では落雷により多くの犠牲者が出ます。これにより道真は天神(雷神)として恐れられ、その魂を鎮めるために造られたのが天満宮・天神。
ここで不思議なポイントが、天神信仰が生まれたのは903年以降ということ。先述の通り、五條天神社はそれよりもずっと前から存在しています。
実は、この五條天神社は、菅原道真に起源を持たない、古来の天神社。江戸時代に上野公園に寛永寺を作り上げた天台宗の僧・天海が「天神社という名でありながら菅原道真を祀っていないことはおかしい」ということで合祀。天神信仰と習合することとなりました。
天満宮・天神には「梅の木」や「牛」などいくつかの特徴があります。そのうちの1つ「鷽(うそ)」を境内にて見つけました。菅原道真は鷽の大群に助けられたという伝説が残っており、各地の天満宮・天神では、木彫りの鷽を授与していたり、「鷽替え」という神事を行ったりしています。
鳥居が立ち並ぶ花園稲荷
そんな五條天神社の隣には、花園稲荷が並んでいます。
この稲荷社の見どころといえば、何といっても約30本の鳥居が連なる稲荷坂。伏見稲荷に比べてしまうと小規模ではありますが、朱色の鳥居が並ぶ光景はついつい写真に撮りたくなります。
外国から来た友達に東京を案内するとき、京都へ行く予定がない方はここへ連れて来てあげると喜んでもらえるのではないでしょうか?合わせて清水観音堂や上野東照宮、五重塔までセットにしたら、日本らしい寺社を一気に抑えられるのでは。
手水に隠れた秘密
五條天神社の手水舎は、よく見ると頭頂部に鳳凰が乗っかっています。
水盤も円形で独特のデザイン。花のつぼみのように見えますが、蓮の花でしょうか。
一方、花園稲荷の手水は一見すると普通ですが、よく見ると何かが水盤を支えています。
一方は邪鬼のようでもあるし、もう一方はがまんさまのようにも見えます。ただ、数年前に来たときに比べて、顔の凹凸が無くなってきています。あと数年後には、もう形が変わってしまっているかもしれません。
神秘的な穴稲荷
ここで境内の注意書きにて謎の言葉を見つけました。それは「穴稲荷は撮影禁止」との一言。穴稲荷って何でしょうか?
周辺を探すと、フェンスの扉を見つけました。そこには「ご参拝の御方は扉を開けてお入りください。」の表記が。狐様がこちらをじっと見つめているように感じるのは、気のせいではないでしょう。
恐る恐る奥へすすむと、そこは洞窟のような空間になっています。どうやら、ここが穴稲荷のようです。穴稲荷というのは通称で、正しくは忍岡稲荷という花園稲荷の旧跡。天海が寛永寺を造営した際に、住処を失うキツネを哀れみ、祠を作って祀ったそう。
ひんやりとした空気が流れる静かな空間は、何だか不思議な力を感じます。五條天神社に参拝の際は、ぜひこの穴稲荷を見つけてみてください。
上野の寺社めぐりはまだまだ続きます。
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