神秘的な鍾乳洞の神社と熊野権現『普天満宮』(宜野湾市)

沖縄県

琉球八社のうちの一社。境内には鍾乳洞へ続く入り口があり、信仰のルーツである奥宮が鎮座しています。琉球古神道の神と合わせて熊野権現を祀っていますが、遥か遠く離れた熊野の地とはどのような繋がりがあったのでしょうか?

2018/10/6(土)

琉球を感じる神社

普天満宮は、沖縄南部の宜野湾(ぎのわん)市にある唯一の神社。キングタコス普天間店の道路挟んだ向かい側に位置しています。

那覇からうるま市の海中道路へ向かって走っている途中、たまたま目に付いた看板と鳥居が気になり、立ち寄ってみました。

青空に輝く琉球赤瓦がとっても沖縄らしい拝殿。内地の神社ではあまり見かけないカラーリングです。

すぐ隣には普天満山神宮寺というお寺がありますので混同しないようにご注意ください。また、地名は普天ですが、神社の名前は普天宮と、漢字表記も間違えやすいです。

字面は同じですが、雷神&学問の神である菅原道真を祀った「天満宮」とは異なり、熊野権現琉球古神道の神を祀っている神社。御神徳は航海安全、豊漁、五穀豊穣、交通安全、縁結びなど多岐に渡っております。

狛犬ではなくシーサー?

拝殿の両側は、狛犬ではなくてシーサーが守っています。

狛犬もシーサーもルーツは中国の獅子と言われているため、見た目はかなり似通っています。赤土でできていたり、屋根の上に乗っていればシーサーだなとわかるのですが、神社の前に石造りで置かれていると正直なところ区別するのは難しいです。

一点、気になったのは、ここのシーサーは左が口を開けており、右が口を閉じているというところ。対で置かれることが多いシーサーですが、通常は左が口を閉じたメス、右が口を開いたオスという配置がスタンダード。逆に置かれているのは、何か理由があるのか、それともたまたまなのか。

拝殿の後ろに構える本殿には、さらに背が高く立派なシーサーの姿が。

神秘的な洞穴

さて、普天満宮の最大の見所は普天満宮洞穴!普段はカギがかけられていますが、御守授与所にて、名前と住所を記入して受付を済ませると、巫女さんが案内してくださります。無料で拝観できますが、時間は10:00~17:00と決まっているのでご注意ください。

細い通路を抜けた先には、開けた大きな洞穴が!!!暖かなライトアップと太陽の光が降り注ぐ神秘的な空間が広がります。見学できるのは50mくらいのわずかな範囲なのですが、鍾乳洞の全長は280mもあるそう。

※写真撮影禁止だったので、案内板に貼ってあった写真を撮影しました。

鍾乳洞の中にあるのは、普天満宮の奥宮。この普天満宮の由緒は、もともとこの洞窟に琉球古神道神をまつったのが始まりといわれています。

琉球八社とは

この普天満宮は、琉球八社の1つに数えられています。かつて琉球王国時代に、特別な扱いを受けていた8つの神社の総称で、波上宮、沖宮、識名宮、末吉宮、安里八幡宮、天久宮、金武宮が数えらえています。

沖縄旅行で神社へ訪問する方は少なく感じますが、ビーチに立つ波上宮(なみのうえぐう)、石のアーチ橋と懸造りが秘境感ただよう末吉宮(すえよしぐう)、抜群の展望が楽しめる沖宮(おきのぐう)、普天満宮と同様に洞窟がある識名宮(しきなぐう)と金武宮(きんぐう)など、いずれも見どころを備えています。

そんな琉球八社は、もともとすべて寺院が併置されていました。この普天満宮も、隣の神宮寺とともに1459年に建立されたそう。(※神宮寺縁起より)

咸淳年間(1265-74)に禅鑑という僧が仏教を伝えたことが、琉球仏教の始まりと言われています。また、続く宝徳年間(1449-52)に尚金福王が長虹堤(ちょうこうてい)建設の祈願のため、内地から天照大神を招いたのが神道のはじまりといわれています。(※長虹堤=那覇と首里を結ぶ堤防と橋から成る道路)

その後、明治時代の神仏分離令によって、内地の多くの寺社と同様に神社と寺院は分離されることとなります。

つながる琉球と熊野

琉球八社のうち、八幡神を祀る安里八幡宮を除き、七社は熊野信仰の神社。ここで違和感を持った方はかなり鋭い!熊野信仰といえば、和歌山県の熊野三山を中心とした信仰。なぜ遠く離れた琉球の地に伝わっているのでしょうか・・・?

自然そのものを信仰対象とする熊野信仰の考え方が琉球の人々の暮らしにマッチした、ということは考えられますが、気になるのは伝播したルート。どこかで誰かが海を越えない限り、熊野信仰が伝わることは無いはずです。

それを考えるにあたり、重要なのが先ほど名前を挙げた琉球仏教の祖である禅鑑。「渡来して琉球に仏教を伝えた」という表記はあちこちに記載されていますが、この僧がどのような経緯でここまでやってきたかを記している記事はほとんど見かけません。また、琉球に熊野信仰を広めた人物として日秀という僧も関わってきます。

この二人はなぜ琉球にやってきたのでしょうか・・・?

続きはこちらの記事にて。

2度と帰ることのない航海『補陀洛山寺』(那智勝浦町)
わずかな食料と油だけを積んだ船で、お坊さんが大海原へと旅立つ「補陀洛渡海」で知られる寺院。海の彼方にあるという補陀洛浄土を目指し、出口を閉ざされた船は向かいます。この渡海には、遥か遠く琉球へも影響があったようです。

※普天満宮には、「洞窟内より熊野権現を名乗る仙人が現れた」という伝説が残っています。日秀は金武宮の洞窟にて布教を行っていたそうですが、普天満洞穴との関りは不明です。

 

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