短命に終わった首都を彩る花畑『藤原宮跡』(橿原市)

奈良県

かつて奈良県橿原市に存在した都、藤原京。短い期間でしたが、日本の中心となっていた場所なのです。現在、その跡地にはたくさんの花と復活した柱が建てられています。春に訪れると、サクラとナノハナのコラボレーションも見ることができます!

訪問日:2017/4/15(土) ※掲載内容および写真は訪問時のものです

藤原京とは?

かつて奈良県の橿原市には「藤原京」という名の都が置かれていました。それまでの飛鳥の地から694年に遷都が行われ、次の平城京遷都が行われる710年までの16年間、ここは日本の首都であったのです。

北に耳成山、西に畝傍山、東に天香久山と大和三山に囲まれた平野に造られていた藤原京。一辺5km以上にも及び、その面積は約25㎢。後の平城京や平安京を凌ぐほどの大きさを誇ります。また、碁盤の目状に都市を造り上げる条坊制を日本で最初に取り入れた都でもありました。

<京の変遷・略年表>
672年~飛鳥浄御原宮(奈良県明日香村)
694年~藤原京(奈良県橿原市)←ココ!
710年~平城京(奈良県奈良市)
740年~恭仁京(京都府木津川市)
743年~紫香楽宮(滋賀県甲賀市)
744年~難波京(大阪府大阪市)
745年~平城京(奈良県奈良市) ※2nd
784年~長岡京(京都府京都市、長岡京市、向日市)
794年~平安京(京都府京都市)
1180年~福原京(兵庫県神戸市)
1180年~平安京(京都府京都市) ※2nd
1868年~東京

柱のみの復活

その藤原京の中心となっていたのが藤原宮。今でいう皇居と国会議事堂と霞ヶ関が一緒になったような、まさに日本の中心とも呼べる宮殿でした。

その藤原宮が現代に復活しました!

柱のみ!!

予算な都合であったのか、それとも正確な情報が無かったためあえて柱だけにしたのか・・・。その理由は定かではありませんが、まるでお灸のように並ぶ柱たちはインパクト抜群。歴史ある建築物であふれてる奈良において、柱だけというのも逆に新鮮です。

私みたいにちょっとひねくれた人間にとっては、この柱のみの宮殿はとても魅力的。逆に、普通の再現建築だったら、他の史跡にまぎれてチェックしていなかったかもしれません。

現在でも藤原京の発掘調査は続いているそう。もしかして、それが終わるまで、もしくは保護のためにここには建築物を建てることができないのではないでしょうか?

ちなみにこの柱、とても独特の感触をしています。現地に行った際は、ぜひ思いっきり抱き着いてみてください・・・!

一面にひろがる花畑

さて、そんな史跡として知られている藤原宮跡ですが、実は奈良を代表する「花の名所」でもあります!

春は黄色いナノハナとピンクのサクラが組み合わさり、幻想的な雰囲気を作り上げています。

4月の半ばであったためサクラは少し散り気味でしたが、ピンクと黄色の2色の世界を見ることができました。

他にも、夏にはハスキバナコスモス、秋には色とりどりのコスモスと、季節に合わせて様々な花畑を見ることができるそう。文字通り「花の都」なのです。

なぜ短命に終わってしまったのか

この藤原京が機能していたのは、たった16年間。その後、都は平城京へと移っていきます。

この理由は諸説ありますが、有力なのは衛生面斜面が多く、排水整備を整えていなかったため都に汚水が流れ込み、疫病が蔓延したのではないかといわれてます。

他にも、「近くに大きな川がないので多くの人が暮らすには水が足りなかった」「飢饉や自然災害が発生した」といった深刻な理由も原因だったのではないかと考えられています。

また、「唐を真似てつくったはずが、全然違った」という考察もあるようです。古い書物を参考にしていたため、そのようなことが起こってしまったようです。

衛生面や災害は仕方ないとして、見てくれの問題は我慢できるのでは・・・と考えてしまいますが、この時代は現代とは比較にならないくらいに「姿」が重要とされていたのかもしれませんね。

アクセスと駐車場情報

JR桜井線畝傍駅より徒歩16分。近鉄大和八木駅から発車している「かしはらしコミュニティバス」を利用して向かうこともできます。

駐車場については、橿原市のHPに記載されています。車で向かう場合は、カーナビで「藤原宮跡」と入れると、漠然とした場所に案内されてしまう可能性がありますので、駐車場の場所を指定して向かうのがおすすめ。※通年利用できるところと、花の時期限定のところがありますのでご注意ください。

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