かつて菅原道真の別荘があった園部の地に立つ天満宮。全国各地で見られる天満宮ですが、ここは少しだけ特別な神社。その創建の経緯が他とは異なっているのです。
園部の地に立つ天満宮
天満宮といえば、平安時代の貴族・菅原道真を祀る神社。右大臣という非常に高い役職につくほど優れた政治家でもありましたが、藤原時平らの策略により太宰府に左遷。失意のもとでこの世を去ってしまいます。
京都には「北野天満宮」や「長岡天満宮」などの天満宮がありますが、ここ南丹市にも生身天満宮という神社があります。他の天満宮とは少し異なる神社ですが、その理由は後ほど。
通りに面した石の鳥居。ここが境内の入口です。

扁額に記された天満宮の字体は、他では見たことないタイプ。「天」の字は、まるで「兀」を2つ重ねたような姿。このような表記は初めて見ました。

天満宮ならではの牛と梅
鳥居の先は石段を上っていきます。きれいに手入れされており、清々しい道のり。

上った先にあるのは舞台のような姿の拝殿。その奥にある本殿は、保存修理工事につき仮殿に仮遷座中でした。拝殿を時計回りに3回まわってお詣りするのが丁寧な参拝作法であるそうです。

社殿のそば並ぶのは牛の置物。天満宮の神使は牛であることから、牛の奉納を受け付けています。

拝殿のそばに立つ神楽殿。松が描かれた舞台には、奉納されたお米とお酒、そして巳年にちなんで描かれた大きな絵馬が置かれています。

御神紋はやはり菅原道真の愛した梅の花の紋。5つの円が繋がり、雌蕊か雄蕊のような点が打たれた姿。さきほどの長岡天満宮とも少し異なるデザインです。

様々な摂社・末社
境内はけっこう広々としており、様々な摂社末社が祀られています。
厳島神社は池に囲まれた姿。生身天満宮が立つ前からこの地で地主神として祀られていました。御神徳は、水神、勝運、開運招福、芸能、女性守護など多岐に渡ります。

厳島神社の奥に鎮座するのは稲荷神社。案内板によると、国定国光稲荷神社という稲荷社のようですが、この国定国光稲荷がどのような稲荷神なのかはわからずです。

大神宮も鎮座しています。御祭神は天照大御神・豊受大御神、いわゆる伊勢神宮です。神社としては珍しく西向きに建てられていますが、これは神宮を遥拝するためであるそう。

大神宮の右手上方に鎮座するのは秋葉愛宕神社。社殿は京都府登録文化財にも指定されています。かつて火災にあった際に、このお社の前で止まって消えたという伝説が残されており、火災避けのご利益があるそう。

特別な創建の天満宮
森に包まれるように立つのが武部源蔵社。この神社の創設者である武部源蔵を祀る神社です。

武部源蔵は園部の代官であり、菅原道真に仕えていました。道真が太宰府に左遷される際に、八男の慶能の養育を引き受けるほど、信頼されていた人物。源蔵は道真が生前の時点で道真の木像を刻み、菅原道真の別荘があった地に生祠としてお祀りします。それがこの天満宮のルーツとされています。
天満宮は全国に約1万2千社ありますが、すべて道真の没後に建てられたもの。道真が太宰府にてこの世を去ると、京都に火災・雷・疫病などの災いが多発。これを道真の祟りと考え、それを鎮めるために祀ったのが天満宮という神社なのです。
そんな中、この天満宮は唯一菅原道真公を生前からお祀りした神社。そのため「生身(いきみ)」という名が付けられた天満宮なのです。
このような流れで創建されたため、創建年を確認するまでもなく「日本最古の天満宮」ということになりますね!
最後の一枚はこちら、国定国光稲荷神社のそばにある建物内に置かれていた案内板。「男の居場所」「サロン」とも書かれていますが、いったいどういうことでしょうか。

神社との関連で調べてもまったく手がかりが見つからず、「園部」「男の居場所」で検索したところ、「ふれあい男の居場所」というサロンが開催されているという記載をみつけました。地域の人々が気軽に交流できるコミュニティのようで、きっとここが開催場所なのでしょうね。
アクセスと営業情報
JR嵯峨野線「園部駅」の西口より徒歩約12分。
| 開門時間 | 参拝自由 |
|---|---|
| 料金 | 無料 |
| 公式サイト | https://www.ikimi.jp/index.html |
※掲載の情報は2025年9月時点のものです。最新情報は公式HPにてご確認ください。


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