多数の櫓に守られた海城『大分城址』(大分市)

大分県

大分のまちの中心部にそびえ立つ大分城(府内城)。戦いの歴史は刻まれていませんが、随所に防御設備を多数備えた堅牢なるお城です。春はサクラが美しく、お花見しながら城内を散策してみました。

訪問日:2024/4/4(木) ※掲載の写真・情報は訪問時のものです

サクラ咲く城跡

大分市街の中心にある大分城址公園は、かつての大分城を公園として整備したスポット。正式名称を「府内城」といい、歴史好きな方や地元の方はこちらで呼ぶ人が多いです。

ここは桜の名所としても知られております。城内には70本以上のソメイヨシノが植えられており、3月下旬~4月上旬頃にはお堀を染めるように咲き乱れます。平日でしたが、シートを敷いてお花見しているグループがたくさんでした。

都内の千鳥ヶ淵などに比べると小規模ではありますが、落ち着いた雰囲気が魅力的です。

大分城のヒストリー

さて、城内を散策する前に、まずは大分城の歴史をさらっとまとめてみました。いったい誰が築城して、どのような歴史を歩んできたのでしょうかね。

大分城の築城がはじまったのは1597年。豊臣秀吉の家臣である福原直高によって築城が開始されました。大分川の「荷落」と呼ばれる場所に建てましたが、直高は「荷落」の地名を嫌い、「荷揚(にあげ)城」と名付けていたそうです。

その後、家康によって直高が転封となると早川長政が入城。関ヶ原の戦いによって長政が改易となると竹中重利が入城。天守や石垣を造営し、城下町を整備していきます。

重利の子が不正のため切腹となると日根野吉明が入城。跡継ぎが生まれず廃絶となると臼杵藩主・稲葉信通が城代に。

次々と城主が変わっていきますが、日根野吉明の義理の甥にあたる松平忠昭が1658年に入城すると、それ以降明治維新まで松平家(大給松平家)が居城として治めます。

明治時代の廃城令により多くの建築は破却され、大分県庁が置かれることに。いくつか残っていた建築も、その後の太平洋戦争時の大分空襲により大手門、櫓3棟が焼失してしまいます。

1963年には大分県の史跡に指定、さらに2006年には日本100名城の94番に選定されました。

大手門と多数の櫓

大分駅から向かうと、最初に見えてくるのが南向きに造られた大手門。正確には「多聞櫓門(たもんやぐらもん)」という名称であるそう。

このあたりの石垣は、他の場所に比べて大きな石が使用されています。こちらは「かがみ石」と呼ばれるもの。人目につく場所に大きな石を使用することで、技術の高さをアピール、さらには城主の権力の象徴でもあったそうです。

大分城は多数の櫓を持つ城。現在も多数が復元されています。こちらは1966年に再建された平櫓。そばにはかつて三階櫓もあり、敵を多角的に攻めることができました。

江戸時代から残る櫓

人質場と呼ばれた曲輪に建つ人質櫓。1854年の大地震で破損するも1861年に再建されました。

この櫓、前述の廃城令の際も残され、さらに空襲も免れます。江戸時代から現存するという、歴史のある建築なのです。

この写真で櫓の右下に見える白いカバーのようなポイントはおそらく「石落とし」。石垣を登ってくる敵に、石などを落として迎撃する防御設備です。

実はもう一つ、宗門櫓も江戸から残る建築なのですが、お堀のサカナに気をとられてすっかり見るのを忘れていました!私にとってはちょっと珍しい光景だったものでして・・・。詳しくは最後にちらっと書きますね。

廊下橋と松栄神社

西丸に架かる屋根付きの橋は廊下橋。大分市発足30周年記念事業として1995年に古絵図を参考に復元されたものです。

利用時間は8:00〜18:00と決まっていますが、自由に渡ることができます。もともとは、床を外して敵の侵入を防ぐことができる構造になっていたそうです。かつてはここを含めて合計3ヶ所に架けられていました。

渡った先は、かつて山里丸と呼ばれる郭(くるわ)があった場所。現在は松栄神社が建てられています。府内藩の第6代藩主・松平近儔(ちかとも)によって建立され、松平近正公(大給松平家2代当主)、松平一生公(大給松平家3代当主)を祀っています。

重厚感ある天守台

本丸にそびえる石垣は天守台。前述の通り竹中重利の時代に建てられたものです。四層櫓の天守閣が建っていたそうですが、1743年の大火により焼失。以後、再建されることはありませんでした。

登ってみると、城内を見渡す展望台。先ほどの廊下橋とサクラのコラボレーションがきれい。

天守台の周囲はキレイに手入れされた庭園となっています。ここから見ると、石垣の角には必ず櫓が置かれている様子がわかりやすいです。

悲しい人柱伝説

最後に「人柱お宮」という悲しいお話をご紹介。

福原直高がこの地に大分城を築城する際、度重なる水害で工事が進みませんでした。なんとか城を完成させるために考えられたのが人柱。「人柱の家族の者は、一生安楽に暮らせるようにする」というお触れ書きが出されました。それに名乗りをあげたのがお宮という娘。一家を救うため、弁財天の木像を抱いて人柱になりました。その結果、築城は順調に進み、 お宮は弁財天とともに府内城の鎮守としてあがめられたと伝えられていま す。

お堀に沿った天守台の下にお宮を祀った祠があるそうですが、柵があって見に行くことはできませんでした。

ということで、お城の散策はこのあたりでおしまい。所要時間は、ぐるりと一周しても30分程度でした。

あ、お掘のサカナの話ですが、こんな感じでおびただしい数のサカナでお堀が埋まっていました!しかもこのサカナ、おそらく「ティラピア」という外来魚。堅牢な城も、お堀の中までは外的脅威を防げなかったようです。

アクセスと営業情報

大分駅より徒歩10分。車の場合は大分ICから約20分。

本丸が駐車場になっているため、車で訪問する場合はお城の中心から見学開始となります。二の丸や三の丸が駐車場といったケースは何度かありましたが、本丸スタートというのは初めてかもしれません。

開門時間 24時間 ※廊下橋は8:00~18:00
料金 無料
公式サイト https://www.city.oita.oita.jp/o204/bunkasports/shitebunkazai/1352943146749.html

※掲載の情報は2024年4月時点のものです。最新情報は公式HPにてご確認ください。

コメント

  1. 匿名 より:

    ご当地のニッチな情報が自分の乾いた隙間をぐいぐい埋めてくるので、読んでたら「(分かったし)もうここ行かなくていいかな…」て気分になります。責任取ってください!

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