鎌倉幕府終焉とともに建立された寺院『東昌寺』(逗子市)

神奈川県

鎌倉幕府の終焉の地となった寺院「東勝寺」を継承したお寺。境内の阿弥陀堂には、江戸時代中期の作と伝わる木造の阿弥陀如来坐像が荘厳なる姿で鎮座していました。

訪問日:2026/2/28(土) ※掲載の写真・情報は訪問時のものです

鎌倉時代から続く寺院

逗子市にある真言宗の寺院、東昌寺(とうしょうじ)。京急線の神武寺駅から徒歩3分ほどのところに位置しています。

この寺の創建には、北条氏が率いる鎌倉幕府が深く関わっています。鎌倉時代の末期、鎌倉幕府の最期の戦いである東勝寺合戦が勃発。鎌倉に攻め込む新田義貞の軍勢に対して、北条高時は防戦するも、最期は東勝寺に追い込まれます。一族はここで自害、鎌倉幕府は終焉を迎えました。

東勝寺住職である信海は、本尊の大日如来を持ち出して脱出。この地に避難し、北条氏を弔う寺として同じ名前の東勝寺を新たに創建。それが、この東昌寺のルーツとなっています。

寺が東寺となったのは江戸時代。寛永14年(1637年)に水戸徳川家につながる尼寺の英勝寺の支配下になった際、水戸家への遠慮から「勝」の字を「昌」に改め、「海照山東勝寺」から「青龍山東昌寺」に変わりました。

立ち並ぶ伽藍

山門は元文5年(1740年)に建立されたもの。茅葺きでしたが、昭和42年に瓦に葺き替えられました。

宝暦7年(1757年)に建立された阿弥陀堂。もともとは茅葺き屋根でしたが、昭和42年にトタンに葺き変えられました。この阿弥陀堂、中を拝観することができるのですが、それは後ほど。

江戸時代に建立された本堂は、大正12年の関東大震災で倒壊。その後、昭和9年に再建されました。

堂内では本尊である大日如来が安置されています。天井を埋め尽くす金色の吊灯篭が華やかで神秘的な仏教の世界を示します。

境内でみつけた石造物

山門のそばに並ぶのは六地蔵。きれいに掃除されており、白い菊の花が添えられております。なんで6体なのかといいますと、「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上」の「六道」で迷う人々を救うため、地蔵菩薩が姿を変えたものであるのがその理由です。

真言宗の宗祖である空海の姿を現した弘法大師ご修行像も安置されています。昭和62年10月に建立された、比較的新しい弘法大師像です。

国の重要文化財に指定された旧慶増院五輪塔もあります。刻まれた銘によると、乾元2年(1303年)に造られたものであるそう。5つのパーツからなる五輪塔。下から台形の地輪、円形の水輪、笠形の火輪、半月形の風輪、宝珠形の空輪となっており、宇宙の構成要素と考えられる空風火水地を表しています。

元々は葉山町にあった慶増院(現在の高養寺)にあったもので、昭和51年(1976年)に移転しました。鎌倉幕府の御家人であり、この寺院の開基である二階堂行然の墓と伝えられているそうです。

境内はそれほど広くありませんが、金魚が泳ぐ池と梅の木もあり穏やかな雰囲気。大きな桜の木もあったので、春になればきっとキレイな花を咲かせていることでしょう。

荘厳なる阿弥陀如来

先ほどの阿弥陀堂、扉の一部がガラスになっており、内部を覗くことができます。ちらっと見ると、大きな木造仏の姿が。そして扉には「無断開扉禁止」の文字。ということは、頼めば開けてもらえる…?

寺務所のおばあちゃんに尋ねると、快く扉を開けてライトも着けてくれました。

姿を現した木造阿弥陀如来坐像。身の丈2.595m、台座1.035m、総丈3.63mという大きさで迫力のある御姿。

頭部が欠けており、顎にも穴が見える。光背も少し割れています。老朽化はしていますが、それに伴う荘厳さも感じます。

宝暦6年(1756年)に、扇ケ谷の仏師、三橋宮内忠之とその息子の幸右衛門・政次郎によって再建されたという記録が残っているそうです。

天井は格天井となっており、絵が描かれています。かすれているためはっきりとは見えませんが、花鳥図や人物がぼんやりと浮かんでいます。

阿弥陀如来像の拝観を終えて扉を締めたら、次の目的地へ。「池子の石切場跡」を見に行きます!

アクセスと参拝情報

京急線の「神武寺駅」より徒歩3分

開門時間 不明
料金 無料
公式サイト http://www.tosyoji.sakura.ne.jp/

※掲載の情報は2026年2月時点のものです。最新情報は公式HPにてご確認ください。

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