空港の敷地に取り囲まれており、独特の存在感を放つ神社。もともとは航空神社であり、その後は成田闘争とも深い関わりを持つことになります。近年では航空機ビューポイントとしても人気のスポットです。
空港敷地内に残る神社
東峰(とうほう)神社は、成田空港のすぐ傍に建つ小さな神社。周囲は空港の敷地に囲まれており、ここだけ別の世界のような雰囲気です。
成田・東峰地区の産土神社として地域の住民から信仰されています。基本的に無人の神社であり、お守りは少し離れたところにある航空科学博物館にて扱っているそうです。
もともとは航空神社
この神社を建立したのは、伊藤音次郎という人物。民間の飛行機研究所「伊藤飛行機研究所」を開設し、民間航空のパイオニアとも呼ばれています。御祭神は、長男の伊藤信太郎や天才飛行士と呼ばれた山縣豊太郎をはじめとする航空黎明期の殉職者たち。当時の社名は「航空神社」でした。
もともとこの神社は、津田沼町(現・習志野市)の伊藤飛行機製作所の工場敷地内に建立されていました。戦後航空業から離れることになった伊藤音次郎は、従業員とともに成田にて開拓に参加。その際に航空神社は東峰地区に遷座され、二宮尊徳を御祭神として迎えます。やがて社名も「東峰神社」に変わりました。
2001年には伊藤音次郎の家族の希望により、再び「航空神社」として航空科学博物館に遷座されました。現在の東峰神社には御神体は無いそうです。
成田闘争との関り
この神社について語る上で外すことができないのが「成田空港問題」。経済の発展とともに羽田空港だけでは限界となったため、新東京国際空港の建設を急ぐ政府は強硬的な手段で計画を進めます。それに対して反抗した近隣住民たちは、社会党や共産党、さらには学生運動とも結びつき、大規模な闘争が勃発しました。
この東峰地区は、空港に対する反対運動が特に活発に行われていたエリア。この神社は運動の象徴ともされていたという背景から、今でも厳重な警備がされています。かつては参拝者にも職務質問が行われており、「日本一職質される神社」とも呼ばれていました。
現在は職質されることはほとんどないようですが、神社へ続く道と境内はクリーム色の高い塀に取り囲まれており、物々しい雰囲気。
実は、この東峰神社のルーツである航空神社を建立した伊藤音次郎は、空港建設を大歓迎しており、用地売買にも真っ先に同意したそうです。
航空機ウォッチング
そんな様々な歴史を持つ神社ですが、近年では航空機ビューポイントとしても知られています。成田空港のB滑走路近くに建立されているため、飛び交う航空機を間近に見ることができるのです。
Google mapのクチコミにも迫力ある写真が多数投稿されており、期待に胸が高まります。カメラをスタンバイしてしばらく待機してみましたが、全然飛んできません!!!!
考えてみれば天候が少々悪いとはいえ祝日のお昼頃だというのに、私以外の人がほとんどおりません。もしかして日によって見られないことがあるのかも・・・。調べていると、離発着機のコースには「北風運用」と「南風運用」という2パターンがあり、ここからは北風運用の日にしか見ることができないとのウワサが。
ところで、今日がどっちの運用なのかはどうやって調べるのでしょうか。風向きを調べてみたところ、北風のような気もしますが、実際の運用の確認方法がわからず。雨も降っているので諦めようかな・・・。
超接近する航空機
そんな中、クチコミに「flightrader24」を確認するのが良い、といった内容のものを見つけました!SNSなどでスクショを見かけたことがあるフライトレーダー。いざアクセスしてみると、飛行機マークがリアルタイムで動いており、とっても面白い!これ、1日中ずっと眺めていられそうです。
あれ、もしかしてすぐ近くに機体があるような。そう思った瞬間、ゴゴゴゴゴッという轟音とともに飛んできました!!!
一瞬のできごとなのでカメラが間に合いませんでした!!
飛行機は物凄い速度で飛んでいるため、フライトレーダーで近くに来たな、という段階では手遅れです。何機か見送っているうちに、軌道が見えて予想が立てられるようになってきました。
なんとか神社の鳥居と合わせて撮影成功。数分おきに飛び交うため、「もう一機見ていこうかな」「次はどこの航空機だろう」なんて考えると永遠にこの場を離れることができなくなるのでご注意ください。
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