古来より修行の場であった高尾山の中腹に建てられた寺院。随所に立つ天狗の像や、アジアの寺院の趣を感じる仏舎利塔など見どころはたくさん。寺院でありながらも鳥居や神社建築が建てられているのですが、その理由とは・・・?
登山道にある寺院
数多くの登山コースが用意されている高尾山。その中でも最もメジャーな1号路を進んで行くと、高尾山薬王院の境内を通り抜けます。
聖武天皇の勅令を受け、天平16年(744年)に行基によって開山されたという長い歴史を持ちます。
正式名称は「高尾山薬王院有喜寺」。創建当初、薬師如来をご本尊としていたため薬王院という名で呼ばれるようになりました。現在は真言宗智山派の寺院となっており、「成田山新勝寺」「川崎大師平間寺」と並び、三大本山として知られております。
今でこそレジャーのイメージがある高尾山登山ですが、昔は登山=高尾山薬王院への参拝を意味していました。現在の1号路も、もともとは薬王院の参道であったのです。
参拝者も登山者もこの百八段階段を越えていきます。
歴史を感じる伽藍
木造で趣ある山門。門の四隅には四天王像が安置されています。総ヒノキ造りのため、辺りには良い香りが立ち込めていました。
続いて仁王門。朱塗りの鮮やかな門で、口を開けた阿形と閉じた吽形の金剛力士像が睨みをきかせています。建立について正確な記録は残っていませんが、江戸中期頃の建築と考えられています。
薬師如来と飯縄権現を祀る御本堂。精巧な木彫りの彫刻が目を引きます。堂内では法要が行われているようで、「ブオォォ」という法螺貝の音色が辺りに響き渡りました。
エスニックな仏舎利塔
百八段階段を登った先には、仏舎利塔への道があります。参拝後に山頂へと向かう場合は、先に訪問しておくのがおすすめ。
入口には、三密の道と刻まれた苦抜けの門が。この三密というのは、「密集・密接・密室」のことではなく、真言宗に伝わる身密(しんみつ)、口密(くみつ)、意密(いみつ)のこと。
登った先には、タイより寄贈された仏舎利を祀る仏舎利塔。異国情緒あふれる白亜の塔は、木々に包まれて神秘的な姿を見せます。
仏舎利塔の周囲には石仏がずらりと並んでおり、百観音御砂踏霊場となっています。西国三十三観音、秩父四十四観音、坂東三十三観音が続いており、合わせて100となります。
天狗と飯縄大権現
境内を歩いていると、目に付くのはたくさんの天狗の姿。いずれも翼を広げた姿で描かれており、とってもカッコ良い。
よく見ると、天狗の顔は2種類あります。写真左のくちばしがある方は小天狗、立派な鼻を持っているのが大天狗。小天狗は別名「烏(からす)天狗」で剣術に長けており、大天狗は「鼻高天狗」とも呼ばれ大団扇を振りかざし様々な奇跡を起こすことができるそう。
なぜ天狗がいるのかといいますと、天狗は御本尊である飯縄(いいづな)大権現の眷属(=従者)であるため。稲荷神社に狐がいるのとほぼ同じ理由です。
仏舎利塔の前には、両サイドに天狗を携えた迫力ある飯縄大権現の像も建てられています。かつては戦勝の神として、上杉謙信や武田信玄にも信仰されていた神様です。
お寺なのに神社?
御本堂からさらに石段を登った先には、御本社こと権現堂があります。御本堂とは打って変わって色鮮やかな建築で、極彩色の彫刻もひときわ目立っています。
寺院なのに御本社という言葉が出てくることに違和感を感じた方は鋭い!この権現堂は、権現造りの神社建築。写真では見切れていますが、朱塗りの立派な鳥居も建てられています。
江戸時代以前、日本では神道と仏教は習合しており、同一視されているケースが多く存在していました。特に山岳信仰ではその傾向はとても顕著。渾然一体となった独自の信仰が広まっていました。
明治時代になると神仏分離令が施行され、政府主導のもと神道と仏教は分離されていきます。多くの山岳信仰の霊場では、仏像や仏具を取り払い、神社としての道を歩むことを選びますが、この高尾山薬王院は仏教寺院であることを選択。
多くの鳥居は撤去されましたが、この権現堂をはじめ、境内随所には神仏習合の名残が多く残されています。参拝に訪れた際には、そんなところに着目して境内を散策してみると、新しい発見に出会えるかもしれませんね。
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