小笹(おざさ)地区にある円形分水は、通潤橋を含む通潤用水に設置された水を分けるための施設。なぜ水を分けるのか、そしてどうやって水を分けるのか。簡単にまとめてみました。
謎の施設・円形分水
通潤橋から車で約10分ほどのところには、円形分水と呼ばれるスポットがあります。ここは通潤橋と非常に関係の深いスポットとのこと。せっかくここまで来たので、合わせて訪問してみることにしました。
駐車場から1分ほど歩くと、こちらの小屋が見えてきます。
そのすぐ傍にあるのが円形分水。その名の通り円形の噴水のようなものが設置されています。
絶え間なく水が流れていきますが、近くに何かあるわけではありません。これはいったい何なのでしょうか?
通潤用水とは何か
円形分水について知る前に、まず知っておきたいのが「通潤用水」。
この円形分水の熊本県の白糸台地は千滝川、五老ヶ滝川、笹原川という3つの川に囲まれた土地。水源は豊かに見えますが、川底から20〜100mという台地であるため水を利用するのは非常に困難。日照りが続けば飲み水も枯れ、生活するのも厳しいという状況でした。
そんな状況を改善すべく立ち上がったのが、惣庄屋(※役所の最高責任者)である布田保之助(ふた やすのすけ)という人物。このとき52歳であった彼は既に多くの業績を残しており絶大な信頼を得ていました。
さらに彼の上司にあたる郡代、さらにその上司となる大奉行の助力もあり、約1年8ヶ月の歳月をかけて通潤橋を完成させます。その数年後、下流の用水路もつくられ無事に通潤用水が完成。農家を中心とした人々の暮らしを豊かに変えることに成功しました。
なお、この布田保之助は通潤橋以外にも道路や溜池など多数の事業を行っています。その功績から神格化され、その名を冠した布田神社に祀られております。
水争いを治めた分水
この円形分水も布田保之助の事業の一環・・・というわけではありません。この円形分水がつくられたのは1956年と、もっと最近のお話なのです。
通潤用水によって潤った白糸台地は、その後、大規模な新田開発が次々と行われていきます。近代化が進むと、水力発電も行われるようになり、水の使用量が大幅に増加。その結果、再び水不足となってしまいます。それが原因となり、明治後期から昭和にかけて「水争い」が勃発。水の利権をめぐって地域通しで争いが起こるようになってしまいます。
その問題を解消するために完成したのがこちらの「円形分水」。笹原川の水を各地域へバランス良く送るための施設なのです。
水を分ける仕組み
気になるのは、この円形でどうやって水を分けるのかということ。この円形分水の内部は「内円筒」と「外円筒」という2つの水槽に分かれています。
湧き出した水はまず「内円筒」に溜まり、その後「外円筒」にあふれ出ます。「外円筒」は2つに区切られており、広い部分は通潤橋へ渡り白糸台地へ、狭い部分は野尻、笹原地区の水田へと流れます。
それぞれの比率は約7:3。一見すると不公平にも見える配分ですが、これは水田面積に応じた比率。湧き水がいずれかの地域に偏らないよう、公平に流れるようにしているのです
各地にある円形分水
この円形分水という施設、国内で見ることができるのはここだけではありません。日本各地に残っており、一般的には「円筒分水(えんとうぶんすい)」の名称で知られています。
ただし、田んぼの真ん中であったり、木々に隠れていたりと見つけにくい物も多いそう。専用駐車場もあり案内板もあり、さらに規模が大きく見ごたえのあるこの小笹円形分水は、ビギナー向けな印象。
気になる方はぜひぜひ調べてみてください!意外と近くに隠れていたりするかもしれません・・・。
アクセスと駐車場情報
通潤橋より車で約10分。円形分水の少し手前にトイレ付の駐車スペースがあり、ここから徒歩1分ほど。
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