ヨーロッパを感じる総石垣の古城『岡城跡』(竹田市)

大分県

竹田市に残る岡城跡は、山上に巨大な石垣が残るダイナミックな城跡。キリスト教の影響と推測される石積みや、名曲「荒城の月」との関連など、見どころも多く、非常に見ごたえのあるお城です。

訪問日:2024/4/7(日) ※掲載の写真・情報は訪問時のものです

気軽に上れる山城

竹田市を代表する観光スポット、岡城跡。標高325mの天神山に広がる山城です。

そう、山城ということはそれなりに歩く必要があります。とはいっても、登山道のような山道ではなく、しっかりと石段が整備された歩きやすい上り坂なので、普段着でも全然問題ありません。

所要時間はどこをめぐるかによって大幅に変わってきますが、公式HPに記されていたのはこの3つのルート。

①さくっと本丸ルート(目安30~40分)
②ゆっくり西の丸ルート(目安40~60分)
③じっくり一周ルート(目安90~120分)

今回は「①さくっと本丸ルート」で歩いてみることにしました!なお、建築がある城跡ではありませんが、入城料は必要となりますのでご注意ください。

岡城のヒストリー

城内を進む前に、岡城の歴史をさらっとまとめてみます。いったい誰が築いて、どんな武将が居城としていたのでしょうか。

岡城は、1185年に緒方惟義(おがた これよし)が、源頼朝に追われた源義経を迎えるために築城した山城がはじまり。1334年に後醍醐天皇の命を受けた大友氏一族の志賀貞朝(しが さだとも)によって拡張され、岡城という名に。

戦国時代には島津軍に再三攻め込まれるも尽く撃退、「難攻不落の城」と称されるようになります。1594年に播磨から移封となった中川秀成(なかがわ ひでしげ)が入城すると、大規模な修築にとりかかります。このときに、総石垣の近世城郭の姿へと変貌します。

明治維新後、廃城令によって廃城。建造物は全て破却されます。1936年には国の史跡に指定。2006年には、日本100名城(95番)に選定されました。

さらに、2019年5月3日、NHKで放送された『あなたも絶対行きたくなる!日本「最強の城」スペシャル「第3弾」』で岡城跡が最強の城に認定されました。

あふれるヨーロッパの古城感

さて、とりあえず難攻不落であり、最強の城に選ばれるほど魅力的な城ということがわかったところでいざ登城スタート!

うねるようなスロープと、その先に見える石の壁。まるでヨーロッパの古城のような仕上がりにわくわくします。

苔むした石垣と青もみじ。このあたりの光景もまたヨーロッパ感があります。

そんな欧風な雰囲気を作り出しているのが、石垣の上に置かれた、半円系の「カマボコ石」。日本の城郭ではあまり見かけないこのデザインは、この地域に強く根差していたキリシタンの影響と考えられています。

岡城の総石垣を造り上げた中川秀成がキリシタン大名であったという明確な記録はないようですが、秀成の父がキリシタン大名・高山右近と従兄弟であり、キリスト教が身近なものであったことは間違いなさそうです。

迫力の石垣を体感

城内で最も狭い空間である西中仕切跡。敵の侵入を防ぐ防御壁が立ちはだかります。

他藩からの使者や家臣が藩主と対面する場である三の丸跡。石垣の高さを実感できるビュースポットとなっています。歩いているときは気づかなかったのですが、こんな高い石垣の上にいるのですね・・・!

竹格子でフタがされているのは空井戸跡。江戸時代には60mの深さという記録がある、深い深い井戸です。もともと水はなく、抜け道であるという説や、財宝の隠し場所であったという説があります。

月見櫓や御風呂屋など来客の歓迎や藩主の愉しみの空間であった二の丸跡。現在は休憩所が建てられており、内部には自由に弾ける「城ピアノ」が置かれています。

本丸に残る御三階櫓跡

ついに本丸跡に到着!岡城中心部の最も重要な曲輪であり、中央部には藩主の住まいとなる本丸御殿が建てられていました。

現在は岡城天満神社だけが建っています。1593年に中川秀成が入城した際に、城内東側にあった天神祠を移転したものであるそう。

御三階櫓跡には、本丸御殿を取り囲むように、天守に相当する御三階櫓や角櫓、 多門櫓、金倉などが配置されていました。

ここもまたかなりの高さで開放感抜群。眼下に見える道路はメロディラインとなっており、車が走るたびに荒城の月のメロディが響き渡ります。

本丸から先には御廟所跡や下原門跡といった見どころがありますが、今回はこのあたりでUターン。

荒城の月のモデル

二の丸跡には、教科書でもお馴染みの「荒城の月」の作曲者・瀧廉太郎の像が置かれています。

瀧廉太郎は、幼少期を竹田で過ごしており、この岡城にて曲のイメージを得たといわれています。この像は、少年時代に廉太郎と同じ学校に通っていた彫刻家の朝倉文夫によって昭和25年に作られました。

実は、荒城の月のモチーフとされている城は、岡城だけではありません。竹田に来る以前に滝廉太郎が暮らしていた富山の「富山城」もそのモデルと考えられています。また、作詞を担当した土井晩翠によると仙台の「青葉城」、会津の「鶴ヶ城」、盛岡の「九戸城」もモデルとしているそうで、それぞれ歌碑が置かれているようです。

作曲者、作詞者で着想を得た城が異なり、またそれぞれ複数あるというパターン。この5つの城をめぐってみるのも面白そうです。


実は、余力があれば西の丸も行こうかなと思ったのですが、本丸跡ですっかり満足してしまったのでこのあたりで駐車場へと戻ります。想像していたよりも巨大で立派な石垣に加えて、いろいろと発見もありとっても楽しい城歩きでした。

アクセスと営業情報

入城受付時間 9:00~17:00
休城日 年末年始
料金 300円
公式サイト https://okajou.jp/

※掲載の情報は2024年4月時点のものです。最新情報は公式HPにてご確認ください。

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