不思議な横穴は何のためのもの?『十五郎穴横穴群』(ひたちなか市)

茨城県

茨城県のひたちなか市にある十五郎穴横穴群は、岩肌に無数に穴が空いた不思議な遺跡。明らかに人工的に掘られたこの穴は、いったい何のために造られたのでしょうか?すぐ近くの虎塚古墳とあわせて訪ねてみました。

訪問日:2024/8/12(月) ※掲載の写真・情報は訪問時のものです

森の中の遺跡

石室壁画が見つかったことで知られる虎塚古墳。そこから300m、埋蔵文化財調査センターからは500mほどのところにあります。今回は埋蔵文化財調査センターの後、虎塚古墳を見た流れで行ってみることに。

虎塚古墳から先は、畑の脇の道を歩いていきます。

途中から下りの山道へ。草木もしっかり刈られており、斜面には段も設けられています。未舗装ですが、整備されて歩きやすい道です。

森の中に見えてくるのは無数の横穴。木々に包まれるような姿は神秘的です。

穴だらけの異様な光景

岩肌に無数に空いた穴。明らかに人の手で掘られたような跡もみえますが、一体何のための穴だったのでしょうか。

この穴は、古墳時代末期から奈良時代にかけて造られたお墓の遺跡。形は違えど、古墳とほぼ同じ機能を持った施設であったと考えられています。

実はこの横穴群、ここで見えているのはほんの一部。1kmにわたり、274基もの横穴が確認されているそう。推定では500基はあるともいわれています。

その歴史的価値が認められ、1940年に茨城県の史跡に指定、そして2024年2月21日に国の史跡へと指定されました。

次々と見つかる出土品

虎塚古墳同様に、こちらも埋蔵文化財調査センターに出土品の展示があります。

こちらは十五郎穴から出土した大刀。持ち手側の先端の「柄頭(つかがしら)」という部分が四角形である「方頭大刀」と呼ばれるタイプの大刀で、鞘部には黒漆の跡が残っていたそうです。1950年に発掘され、ひたちなか市の有形文化財に指定されました。

他にも1976年の調査では須恵器、勾玉、切子玉といった副葬品が出土しています。さらに2011年の調査では、刀子と蕨手刀が見つかりました。この十五郎穴は、なんたって穴の数が膨大。前述の通り、まだ確認されていない横穴が200基以上と推定されていますので、今後も更なる発見が期待できます・・・!

気になる名前の由来

ところで、十五郎穴という名前はどのような由来があるのでしょうか?

どうやら、かつて十郎と五郎という人物が隠れ住んでいたことに因んでいるそう。

調べてみると、この二人は「曽我兄弟」であるそう。曽我兄弟といえば鎌倉時代の武士であり、父親の仇討ちのストーリーでよく知られています。この「曽我兄弟の仇討ち」は「赤穂浪士の討ち入り」「伊賀越えの仇討ち」とともに日本三大仇討ちにも数えられており、江戸時代には浮世絵の題材として人気を博しました。

さらに、十郎と五郎のもとに尋ねてきた虎御前というお姫様のお墓になったという昔話があります。吾妻鏡などの記録では姫ではなく遊女として記されていますが、お姫様の方が素敵なのでそちらで信じていきたいと思います・・・!

戦争遺跡としての側面

実はこの十五郎穴、太平洋戦争における戦争遺跡でもあります。

戦争遺跡といえば離島や海岸線に設けられた砲台や要塞、内陸部の軍需工場などが挙げられます。埼玉県にある同タイプの墳墓「吉見百穴」は戦時中に軍需工場として利用がなされていましたが、ここも同じような利用だったのでしょうか?

この横穴の利用は、なんと本土決戦用に備えた陣地。内部に坑道が掘られており、開口部が大きく広げられていたことから、敵部隊の狙撃や監視を行う「掩体(えんたい)」であったと考えられています。

このような階段も、当初は存在しておらず、戦時中にこの穴で暮らしていた人が造ったそうです。

古墳であり、歴史に名を残す兄弟が隠れ住んでいた伝説があり、さらに戦争遺跡でもあるという十五郎穴。いろいろ魅力のつまった横穴、ぜひ虎塚古墳と合わせて訪問してみてくださいね。

ただし、夏場は古墳にたどりつくまでが一苦労。暑い中を元気過ぎる草木や虫を回避して歩くことになります。できるならば他の季節をおすすめします!

アクセス情報

Google mapだと上手くルートが出なかったので、「ひたちなか市埋蔵文化財調査センター」を目的地にしてそこから歩いていくのがおすすめです。

時間 見学自由
料金 無料
公式サイト https://hitachinaka-maibun.jp/

※掲載の情報は2024年8月時点のものです。最新情報は公式HPにてご確認ください。

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