津久見港から保戸島に到着したのが前回までのお話。2本目の記事では、島の北側散策について。石鎚神社、えびす様、加茂神社と神社をめぐりながらも気になったのは埋立地の集落。離島とは思えないような不思議な光景が広がります。
独特な集落
まずは島の北側の石鎚山へと向かってみることにしました。港の北側は埋立地となっており、多数の民家が並んでいます。
ここで驚いたことが。この埋立地、ひとつひとつの家がとっても大きいのです!
家屋は基本3階建て。まるでアパートみたいな存在感ですが、表札を見る限り個人の邸宅であるよう。どの建物も同じようなつくりをしていますが、外壁タイルの色で個性をアピールしています。
背の高い建物が隙間なく並ぶ様子は、まるで都心の繁華街の雑居ビル群のようです。それが離島の海辺にあるというのが凄く違和感。
島の人によると「土地が狭いけん、上に伸ばしちょるんよ」「台風とかきて屋根がもってかれんようにしちょる」とのこと。生活の知恵が詰まってこの形態になったようです。
石鎚山と石鎚山神社
石鎚山へ行くには、埋立地集落の外れの階段を登ります。
最初は舗装された階段でしたが、途中から山道になっていきます。
登っていると、どこからか人の声が。人の気配はないのにおかしいなと思い振り返ると、階段の下の方にいるおじさんが「この先は落石があって通れないので、神社までいったらひきかえしな~」と呼びかけてくれていました。
おじさんにお礼を伝えて先へ進むと、すぐに赤い鳥居が見えてきました。こちらは海上安全を祈願し、勧請された石鎚神社。
この先は険しい山場。もう少し進めそうな気もしますが、こんな人のいない場所で何かあったら命の危機。大人しくここで引き返します。
井戸と防空壕
先ほどの埋立地集落に戻ってきました。この集落のはじっこには、かつて使用されていた井戸があります。
その奥にある洞窟は防空壕跡。保戸島は太平洋戦争時に空襲を受けております。授業中の学校が爆撃され、多くの児童の命が奪われるという悲しい歴史を持っているのです。
島の人の話によると、この防空壕、戦後しばらくは冷蔵庫として使用されていたそうです。近くにいた方が、「昔は電気が無かったけんね、冷蔵庫にしちょったんよ」と教えてくれました。
漁業の神・えびす様
井戸&防空壕から港方面へと登っていきます。さきほどの住宅がよく見える。この景色は、やっぱり保戸島ならでは。
高台に立つのはえびす様。大阪の西成区より遷座された神様であるそう。
さてさて、今回の記事、やたら「島の人の声」が多いことにお気づきでしょうか?保戸島の人たちはとってもフレンドリーで、余所者にもすぐに話しかけてきてくれます。そのため、各スポットにてリアルな島の人の案内を受けることができてしまうのです。
「コーヒーでもいれよか?」と話しかけてきてくれたり、東京から来たことを伝えると「うち泊まっていくかー?部屋ならいっぱいあまっちょるけん」と笑いながら教えてくれたりしました。
ボランティアで掃除しているおばあちゃんが、「神様のおさがりあげるわ」と、みかんと月桂冠を渡してくれました。お供え物を取り換える際は、おさがりとしていただくそうです。
加茂神社
えびす様のすぐ近くには加茂神社もあります。こちらは港の集落を見渡す高台に建っています。
そびえ立つ鳥居。案内マップによると、保戸島が遠洋漁業をはじめるきっかけとなった対馬との交流を物語るとのこと。どこかに対馬の名が記されているのでしょうかね。
しっかりとした社殿。京都の上賀茂神社を勧請しており、保戸島の守護神として信仰されています。
夏の大祭では、ここから御輿が急な階段を下って浜辺まで降りていくそう。御輿蔵は普段は閉まっていますが、たまたま掃除してたおばあちゃんが「お神輿見てったらえぇ」と特別に見せてくれました。
さらにここでも「好きなだけもっていき~」と神様のおさがりもらっちゃいました。
さて、帰りの船まではまだまだ時間がありますので、このまま港近くの急斜面集落(仮称)を散策しながら、さらに南端の方にある「カモンバイ」というところまで行ってみます!
つづく
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