友ヶ島と並び由良要塞を形成していた淡路島の生石山(おいしやま)。砲台が多く設置されており、現在でもその遺構を見ることができます。公園として整備されているため、ちょっとしたハイキング感覚で楽しめる戦争遺跡です。
由良要塞の一角
由良要塞は明治時代に造られた近代的な要塞。兵庫県(淡路島)、徳島県、和歌山県にまたがる、「由良地区(兵庫県淡路島)」「友ヶ島地区(和歌山県)」「加太・深山地区(和歌山県)」「鳴門地区(徳島県)」と4つの区域に分かれており、広い範囲で大阪湾を防衛していました。「まるでラピュタの世界!」とよく話題になる和歌山県の友ヶ島に残る戦争遺跡も、この由良要塞の遺構の一つです。
今回訪問したのは、淡路島の洲本市にある由良地区。生石山公園に「生石山(おいしやま)砲台跡」が戦争遺跡として残されています。
駐車場は第一駐車場と第二駐車場の2箇所。今回は山頂付近にある第二まで車で登っていき、そこから下りながら見学することにしました!
眺めるタイプの戦争遺跡
生石山砲台跡には、第一から第五まで全部で5つの砲台跡が残されています。散策路にそって全てめぐってみたので、簡単にご紹介しますねー!
第一砲台跡
まず見えてくるのは第一砲台跡。由良要塞最大、そして当時の国内でも最大の28cm榴弾砲を設置していた砲台跡です。
榴弾砲は弾道が山なりになるため、外から見えない位置に設置されています。高い位置から落下させたほうが威力が上がるため、なるべく高い所に設置されていました。
写真の通り見学用のウッドデッキが設置されており、軽装でも大丈夫。ライトなファンの方は「第二駐車場に車を停めてココだけ見る」というお手軽コースでも良いかもです。
第二砲台跡
第一砲台跡と同時期に設置されたため、ほぼ同じ構造をしています。車道側からはあまり見えませんが、海沿いの道からは円形の砲座の姿が確認できました。
第三砲台跡
フェンスの向こうに見える第三砲台跡。第一、第二は榴弾砲でしたが、第三砲台は加農(カノン)砲が設置されました。直線で発射するタイプの大砲なの、周辺の木は切り倒されていました・・・のですが、現在は木の根が広がっており遺跡感MAXな雰囲気です。
第四砲台跡
第三砲台跡同様に加農砲が設置されていた第四砲台跡。損壊が激しく、さらに大部分が埋まっているため、あまり原型はとどめていません。
第五砲台跡
石とコンクリートで造られた第五砲台跡。ここも第三砲台跡と同様に加農砲が設置されており、駆逐艦などの小型艦艇攻撃を想定していたそうです。規模は小さいですが、比較的ひらけた場所にあり、フェンスも無いためかなり近くで見ることができます。
観測所跡
こちらのコンクリートでできた遺構は観測所跡。前述の通り、榴弾砲は山なりに打ち上げるため、目視で狙いを定めるのは困難。敵艦までの方向と距離を測るためにこちらの観測所が置かれていました(たぶん)。潮の満ち引きなども計算して狙いを定め、座標位置に敵艦が来たら発射していたそうです。
それ以外の見どころ
この散策コースには、戦争遺跡以外の見どころもいくつかあります。いずれも海沿いの高台という開放的なロケーションにあり、戦争遺跡めぐりと合わせて立ち寄ってみると良い気分転換になります!
生石海峡展望台
おしゃれなテラス風の展望台。高台の開けた場所にあるため、吹き抜ける海風がとっても心地良い。散策路の半ばにあるため、ひと休みポイントとしても良さそう。
出石神社
新羅の国の王子、天日鉾命を祀る神社。「出石の刀子」という宝物が出現したという伝説が残されています。
生石鼻灯台
真っ白なタイルが張り巡らされた灯台で、くびれがなんともセクシーなフォルム。高さは10m、平均海面から灯火までの高さを示す灯火標高は118mとなっています。
生石岬展望台
友ヶ島や、行き交う船を見渡せる開放的な展望台。ベンチやトイレも設置されており、海を眺めていてのんびり過ごしたくなる雰囲気です。トイレも設置された第一駐車場のすぐ目の前にあります。
アクセスと営業情報
洲本バスセンターから約20分のバス停《生石口》が最寄りバス停。20分ほど登ると砲台跡のエリアに入ります。
車の場合は神戸淡路鳴門自動車道の洲本ICから約35分。
見学所要時間の目安は一周まわって約45分ほど。遊歩道になっていますが、基本的に自然の中を歩くので、軽いハイキングくらいの服装がおすすめ。私は夕方に訪問したところ、シカとイノシシに会いました。
すぐ近くにある由良港から5分ほどで渡れる離島「成ヶ島(なるがしま)」にも砲台跡が残されています!ただし、成ヶ島行きの船は月金土日のみ運航。離島・戦跡好きとしては外せない場所なのですが、今回は平日の訪問だったので未遂に終わってしまいました・・・!
コメント
先日、NHKの金曜時代劇『お登勢』の再放送を見るとはなしに、眺めていたら、「内乱前夜」だったのでしょうか?原作の船山馨では『その前夜』明日の放送は『内乱?』かな、内乱=稲田騒動、つまり、庚午事変のことでしょう❗そこで、本文を見ていたら、由良と黒岩に砲台が備えられているらしいことが、述べられておりましたが、当時の守り、砲術隊や、組織運営などの記録は、残ってないのでしょうか?小説『お登勢』には、銃士隊と砲術隊と云う記述が、数カ所有りました❗
実際の組織と、フィクションの小説とまた、ドラマでは、幾分かは相違があるとは思いますが····
遺跡として残っているなら、と、明治3年の5月12日と翌日の13日の洲本城下が·········どの様に、描かれているのか、興味津津です❗