かつて利根川舟運によって栄えた佐原の町は、今でも江戸の情緒を色濃く残しています。小野川沿いに並ぶ伝統家屋や、水が流れる橋、のどかな舟めぐりなど、風流な景観を楽しむことができるエリア。江戸時代に日本地図を作り上げた伊能忠敬ゆかりの地でもあります。
江戸が残る佐原
江戸時代に徳川家康の手によって利根川の流れが変わります。かつては江戸川に流れていたものが、銚子まで流れるように。
その影響で江戸と水路で結ばれるようになり、佐原は各地の舟が集まる利根川舟運の拠点となりました。江戸との距離も近いため、流行がすぐに伝わり「江戸が見たけりゃ佐原へ」という言葉が生まれるほど、江戸を反映した町並みでにぎわいを見せていました。
佐原では、現代においても当時の町並みを保存しており、江戸の情緒を感じるノスタルジックな町並みが広がっています。震災や戦災を免れてきたため、江戸時代がしっかりと残っているのです。
小野川という小さな川沿いに木造家屋が並ぶ様子が、非常に趣深い景観を作り上げております。そんな水路を進む遊覧船「小江戸さわら舟めぐり」は、人気のアトラクション。約30分のコースで、町並みを水上からじっくりと眺めることができます。
水が滴る樋橋
いくつか架かる橋の中でもインパクトがあるのがコチラ。木製の風流な橋から、水があふれるように流れ落ちています。
こちらは樋橋(とよはし)という江戸時代に造られた橋で、その見た目から「じゃあじゃあ橋」とも呼ばれています。
もともとは灌漑用水を運ぶための水道橋で、小野川の東側から西側の水田に水を送るために造られました。昭和に入ると、板を敷いて手すりが設置され、人が渡れるように改装されました。
現在の橋は平成4年に架け替えられたコンクリート製のもの。当時の面影を再現しつつ、強度を保っています。かつては水があふれて流れ落ちていましたが、今では観光用に30分に一度落水するようになっています。
伊能忠敬旧宅
伊能忠敬(いのう ただたか)という人物をご存知でしょうか。江戸時代に日本全国を測量し、日本で初めて実測による日本地図を作り上げるというとんでもない偉業を成し遂げた人物です。
上総国の小関村(九十九里町)に生まれた忠敬は、17歳で佐原の名門である伊能家の婿養子となります。ここは、そのときから50歳になるまでの前半生を過ごしていたところ。無料で開放されているため、自由に見学することができます。
通りから見ると小さな家に見えますが、中に進むと広い敷地が広がっており、大きな蔵も設けられています。これは、かつて税金は間口の広さに応じて設定されていたため、表向きは狭く、奥行きを深くした方が良かったのです。
なお、彼が測量をはじめたのは55歳のとき。この家で暮らしていたころの忠敬は、商人として手腕を振るっていました。当時傾きかけていた伊能家を立て直し、村の名主となり貧民救済をするなど大活躍だったそうです。
伊能忠敬記念館
伊能忠敬記念館では、そんな伊能忠敬の偉業を学ぶことができます。実物の資料に加えて読み物コンテンツが充実しており、ゆっくり眺めていくと当時の日本の状況と忠敬の行動が非常によくわかる。忠敬が作ってきた地図と現在の地図の比較もあるのですが、その正確性は感動の域。
なお、先述の通り、最初の測量である蝦夷地測量は55歳のとき、全国測量が終わったのは71歳のときというから、そのアクティブシニアっぷりには驚かされます。
こちらは記念館の裏に設置されている象限儀のモニュメント。この器具で天体を観測し、緯度や経度を求めていたそう。
休館日:月曜
料金:500円
※2021年2月時点での情報です。
名物の黒切りソバ
多くの飲食店が並ぶ中でも、ユニークなのが小堀屋本店。江戸時代の天明2年から続く老舗の蕎麦屋で、その建築は千葉県の有形文化財にも指定されています。
ここの名物といえばこちら!真っ黒なそばがインパクト抜群の「黒切りそば」。(写真は天ぷらのついた「黒天もり」)
この黒さはイカスミではなく、日高昆布を使用しています。かつて佐原には北海道や東北から江戸へ向かう船も多く寄っていたため、そこから入手した昆布を使用した変わりそばができあがったそうです。
いわれてみると、遠くに乾燥コンブの風味がいる気がします。ボリュームもそれほど多くは無いので、さらっと食べられます。
休館日:水曜
※2021年2月時点での情報です。
ふと思ったのですが、最も日本を旅した人間って、伊能忠敬なのではないでしょうか。全県制覇は当然のこと、北方領土や瀬戸内海500島をはじめとした数え切れないほどの離島にも足を運んでいるのです。交通手段の発達した現代の旅人でも、彼に勝てる人はいないのでは。
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