日本の威信をかけて造営された戦艦大和。1/10の巨大模型をはじめ、映像コンテンツやパネルでその凄さを知ることができる博物館。悲しい特攻兵器も数多く展示されており、様々な切り口で戦争と向き合うことができます。
休館日:火曜
料金:500円
大和ミュージアムへのアクセス
大和ミュージアムがあるのは、広島県の呉市。広島市の南東に位置しています。最寄り駅の呉駅からミュージアムまでは徒歩5分と、アクセスは良好です。
車の場合、広島駅から30分ほど。駐車場は目の前のてつのくじら館と共用で、1時間100円です。すぐ隣のゆめタウンの駐車場は、1,000円買い物すれば4時間無料で利用できます。
入口周辺には、大きな錨や主砲など、戦艦のパーツが立ち並びます。これは、周防大島沖に沈没する戦艦陸奥の引き揚げ部品。1つ1つが巨大で迫力満点です。
鎮座する巨大戦艦大和
入館してすぐ目に入るのは、堂々と構える戦艦大和の1/10模型。大和は263mもあった超弩級戦艦。模型とはいえその大きさは26mにも及び、かなりの大きさです。
展示ホールは3階まで吹き抜けとなっているため、それぞれの階から眺めることができる構造。また、模型の周りは1段低く作られているため、下からのぞき込むことができるのも特徴的。様々な角度からじっくりと見学できるように工夫されています。
海に面した部分がガラス張りとなっており、開放的な雰囲気。まるでドックのような構造で、今にも窓の向こうの海に向かって出航しそうです。
この窓は南西を向いています。夕暮れに近いタイミングで訪問したため、ノスタルジックな大和になりましたが、もう少し早かったら午後の日射しで逆光になっていたかもしれません。かっこいい大和の写真を撮りたい方は、時間帯や天気もチェックした方が良さそうです。
当時の資料を参考に忠実に再現されていますが、もし新事実が発覚した場合はそれに合わせてアップデートも行われているとのこと。写真右端に映る緑色の偵察機も、後から追加されたものです。
最強と謳われた大和の特徴
敵国の量に対して質で対抗しようとした戦艦であったため、最新技術を詰め込んで造営されました。そんな大和には、特徴的なポイントが多数あります。
46cm3連装砲塔の主砲を船首側にに2基、船尾側に1基と合計9門備えています。「46cm」というのは装填する砲弾の大きさで、これは世界最大を誇ります。その威力は30km離れた位置からでも戦艦を貫くほどで、敵艦の射程外であるアウトレンジからの攻撃を可能としていました。
また、外観からはわかりにくいのですが、その装甲の厚さもポイント。甲板を防御する水平装甲で23cm、船体側面の垂直装甲で41cmという分厚い鉄板で固められており、文字通り鉄壁を誇っていました。
船首は「バルバスバウ(球状船首)」と呼ばれる、丸っこく特徴的な形。球体の突起の効果で船首が作り出す波と逆の波を生み出し、船が受ける波の抵抗を打ち消す働きを持ちます。これにより馬力を節約し、航続距離を増大させることができました。
船首上部をよく見ると、金色に輝く菊の紋章が見えます。
今も海底に眠る大和
史上最強最大の戦艦であった大和。その最後の任務は、沖縄戦の戦局挽回。片道分だけの燃料を積んで戦線に突撃、意図的に座礁して固定砲台として戦い、弾薬が切れたら乗組員が歩兵として突撃するという、特攻作戦でした。
1945年4月7日、沖縄へ向けて航行中に九州南西沖にてアメリカ海軍空母機多数の攻撃を受けます。数百にもおよぶ戦闘機・爆撃機・雷撃機からの猛襲の前に、奮戦むなしく沈没。3,000名以上の乗船員とともに海の底へと沈んみます。
戦場は海上から空へ、空母と航空機主体に移っていました。戦艦との砲撃戦を行うことが無かったため、世界最大の主砲もその威力をまともに発揮することはできませんでした。もう少し早く、戦艦砲射撃が戦いの中心であった時代に完成していたら、きっと恐ろしいほど活躍できていたに違いありません。
海底に眠る大和の潜水調査は、1982年、1985年、1999年、2016年の計4回行われます。2016年の調査ではハイビジョンカメラを搭載した潜水艇による映像が撮影され、そのときの様子が動画コンテンツとして展示されています。
海底に眠る姿は神秘的。マストや主砲など細かい部分まで確認でき、船首部に刻まれていた菊の紋章もくっきりと見ることができます。
海軍の街のはじまり
「海軍の街」として広く知られている呉。発展の歴史に関する内容も多く展示されています。
西欧列強に対して近代的な造船・運用技術を導入するため、明治政府は1872年に海軍を設立します。その拠点となる鎮守府を、1884年に横須賀、1886年に呉・佐世保、1901年に舞鶴と4ヶ所に設置しました。
その中でも瀬戸内海という内海に位置していた呉は、戦艦の建造や大砲などの製造をメインに行う帝国海軍第一の製造所として機能。1914年の第一次世界大戦にともなう大戦景気や、海軍の拡張によって呉は賑わいを見せます。
太平洋戦争がはじまると、軍備の拡大が行われ、さらに呉の役割は大きくなります。しかし、そのため空襲の標的となり、14回にも及ぶ激しい空襲を受けることに。
終戦後、海軍は解体。占領政策の実行を監視するための中国軍政部、広島軍政部が置かれます。その後、1948年に民間も利用可能な呉港が開港。1950年には占領軍から返還されます。
リアルな特攻兵器
戦艦大和や呉の街の展示に加えて、見逃すわけにはいかないのが、特攻兵器。広い展示室の中には、実物の兵器がそのまま展示されています。
こちらの飛行機は、零式艦上戦闘機六二型。通称「零戦(ゼロセン)」とも呼ばれる旧海軍の戦闘機の中で、最終量産型となったモデル。爆弾を搭載して飛行機ごと体当たりする「神風特別攻撃隊」に導入されていた機体になります。
世界初の有翼潜水艇である2人乗りの特殊潜航艇「海龍」。展示されている機体は魚雷を装備していますが実際はそこまで装備が回らず、体当たり自爆をするための特攻兵器であったそうです。
特攻兵器「回天」十型。中に人が入って操縦する特攻兵器で、人間魚雷とも呼ばれていました。近くには、回天の搭乗員であった軍人の遺言、そして肉声も聞くことができます。「みんなさようなら!元気で征きます。」という力強いコトバが耳から離れません。
館内の展示物の解説は、まるで教科書のように非常に淡々としています。そのため、模型や映像など体感しやすいコンテンツが多い割には少々とっつきにくい印象のミュージアムでした。
しかし、それは中立的な立場の表れ。あくまで史実を述べることで戦争を肯定も否定もせず、思想が乗らないように意図されているようです。
何を感じるかは訪れる人々に委ねられています。
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