豊臣秀吉を祀る神社とあの有名な呪いの鐘『豊国神社&方広寺』(京都市東山区)

京都府

戦国大名の豊臣秀吉を祀る神社。境内には秀吉のシンボルであるひょうたんや、秀吉像などが奉納されています。隣接する方広寺には、豊臣家滅亡のきっかけとなった、あの鐘の姿も・・・!

訪問日:2023/3/26(日) ※掲載の写真・情報は訪問時のものです

豊国大明神を祀る神社

京都国立博物館の裏手に建つ豊国神社(とよくにじんじゃ)。主祭神は「豊国大明神」という神様ですが、こちらは豊臣秀吉のこと。1598年に没した秀吉を祀ったのがこの神社のはじまりであるそう。

1615年の大坂夏の陣により豊臣家が滅亡すると、徳川家康の意向により当社は廃絶へ。かろうじて社殿は残されたものの、修理することは許されず、ただ朽ちていくだけであったそう。

時代が変わり明治になると、明治天皇によって復興され、現代にいたります。

立派な唐門。再建にあたり、南禅寺塔頭である金地院より移築されたものとのこと。この先に拝殿、本殿がありますが一般の参拝者はこの唐門まで。

秀吉を感じる境内

手水は金色のひょうたんの姿。秀吉は馬印としてひょうたんを使用していたことから、現在も秀吉のシンボルとして広く知られています。

唐門の傍には豊臣秀吉像。高さ1.1mの座像であり、銅ではなく焼きものでできた陶製。太平洋戦争中に造られたとのことですので、金属を使用できなかったのではないでしょうか。

唐門に奉納されたひょうたん型の絵馬。絵馬に願いを込めて木箱に奉納すると、職員の方がここに吊るしてくれるそうです。

秀吉の馬印のひょうたんは、戦で勝ち星を上げるたびに増やしていったと言われており、「千成瓢箪(せんなりびょうたん)」と呼ばれています。ここでも参拝者によって千成瓢箪ができあがっていました。

巨大すぎる鐘

唐門向かって左に進むと方広寺という天台宗の寺院とつながっています。

目に入るのは巨大な鐘。この鐘は重要文化財にも指定されており、「東大寺」「知恩院」のものと合わせ日本三大名鐘の一つにも数えられています。

この鐘は高さ4.2メートル、重さ82.7トンにも及びます。東大寺は高さ3.86メートル、知恩院は高さ3.3メートルなので、三大名鐘の中では最も大きい鐘。日本最大といわれる蓮華院誕生寺奥之院の鐘が高さ4.55メートルなので、それに迫る大きさです。

見上げると、鐘楼には天井絵が描かれています。これは伏見城の女性化粧室から移築したものであるそう。

呪いの鐘・・・?

この鐘、歴史が動くきっかけとなった鐘なのです。その出来事というのが、秀吉没後におこった方広寺鐘銘事件

秀吉の後を継いだ豊臣秀頼は、父の意思を引き継ぎ「京の大仏」こと方広寺大仏&大仏殿の再建を行います。その際に方広寺に奉納したのがこの巨大な鐘。

ここで問題となったのが、この鐘に刻まれていた銘文。「国家安康」「君臣豊楽」という箇所があり、これを見た江戸幕府は「家康の文字を分断して呪いをかけた、さらに豊臣を君主として楽しむという意味を込めた」と解釈。

呪いではなく尊敬の意を込めて家康の文字を入れたといわれていますが、これがきっかけで徳川vs豊臣の合戦・大坂の陣が勃発。豊臣家は滅亡へと追いやられてしまいます。

鐘をよく見ると、「君臣豊楽」「国家安康」の部分は白枠で囲まれています。

でも、本当にこれが呪いだと思ったのであれば、この鐘はすぐに処分すべきではないでしょうか。現代までも残っているところをみると、やっぱり本気で呪いとは思っておらず、戦の口実が欲しかったように思えてしまいますね。

このように書くと、江戸幕府はなんとか豊臣家を潰したかったようにもみ見えますが、もともと家康は秀吉没後の豊臣家に対して融和策をとっております。豊臣家ではそれに従わない反徳川派が実権を握っており、徳川vs豊臣の戦いは避けることができなかったようです。

アクセスと拝観情報

京阪本線の七条駅より徒歩約10分。「京都国立博物館」や「三十三間堂」から徒歩圏内なので、合わせての訪問がおすすめです。

参拝時間 境内自由
料金 無料
公式サイト(京都府神社庁) http://www.kyoto-jinjacho.or.jp/shrine/08.html

※掲載の情報は2023年3月時点のものです。

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