織田信長を弔うために、秀吉によって建立された寺院。本堂では、等身大といわれる木造織田信長公坐像も拝観することができます。この像はもともと2つ造られていたのをご存じでしょうか?
秀吉が建立した寺院
大徳寺の塔頭である総見院。本能寺の変で討たれた織田信長の菩提を弔うために、豊臣秀吉が建立した寺院です。
当初は黄梅庵(現・黄梅院)が信長の塔所として改築されましたが、小さすぎるという理由から新たにこの総見院が造られました。明治維新の神仏分離令に伴い発生した仏教排斥運動「廃仏毀釈」によって荒廃するも、道場として再建、大正時代に再興されます。
通常は非公開ですが、例年3月末~5月初旬の特定日に限り公開していることが多いです。2025年は、3月29日(土)~5月6日(火祝)の土日祝のみ公開していました。
受付の建物にはハートの窓が!おそらくイノシシの目を模した「猪目窓」ですが、可愛らしく感じてしまいますね。
境内の見どころ
こちらの椿は古典品種である「胡蝶侘助」。樹齢400年以上であり、日本最古の胡蝶侘助であるそう。老齢を感じさせない華やかな花を咲かせていました。
境内の奥にあるのが織田一族の墓碑。秀雄、信雄、信長、信忠、秀勝、信高、信好に加えて、帰蝶こと濃姫のお墓も。信長の墓所は全国に20ヶ所以上あるそうですが、ここは朝廷から認められた由緒正しき墓所であるそうです。
こちらは清正の井戸。加藤清正が朝鮮出兵の際に持ち帰った石を彫り抜いて井筒にしたというもの。ライトで照らして中を覗くことができます。深さはなんと12m!蓄えた水は美しく、のぞき込んだ自分の顔が映り込みます。
3つの茶室「香雲軒(こううんけん)」「龐庵(ほうあん)」「寿安席(じゅあんせき)」も見学することができます。茶の湯ともかかわりが深い寺院であり、秀吉による「大徳寺大茶会」では、総見院方丈に秀吉が茶席を設けたとの記録が残っているそう。
茶室へ続く廊下、よく見ると天井から何かが吊るされています。これは「輿」であるようですが、いったい誰を運んだのかは後ほど。
本堂で祀られる信長像
昭和3年(1928年)に再建された本堂。タイミングが良いと、お寺の方による15分ほどの案内を聴くことができます。
笑顔がステキな女性の方によるお話は、非常にわかりやすいです。口語では伝わりにくい単語は、スケッチブックで文字で教えてくれるという丁寧さ。
本堂には秀吉が奉納した木造織田信長公坐像が安置されています。鎌倉時代の仏師・康清による作品で、坐高は115cmであり等身大といわれています。
信長像のエピソード
実はこの信長像、2体作られたそうです。そのうち1体は、本能寺の変の後に遺体が見つからなかった信長の替わりに火葬されます。その像は貴重な香木の「沈香」でできていたため京都中に香りが広がり、秀吉は自分が葬儀を行っていることをアピール。信長の後を継ぐのは自分ということを知らしめるパフォーマンスであったともいわれています。
もう1体の信長像は寺院にて安置されていましたが、廃仏毀釈の際に本山に移動。何とか守り抜いたものであるそう。
昭和36年(1961年)に、再び本山から総見院に迎え入れることに。その際に使用されたのが、先ほどの「輿」。木像とはいえ、信長公をお運びするのには輿を用意せねば、ということで用意されたそうです。昭和の時代に「信長の輿入」があったなんて、きっと大きな話題になったのではないでしょうか。
アクセスと参拝情報
「京都」駅、もしくは地下鉄烏丸線「北大路」駅からバスに乗り「大徳寺前」バス停下車後、徒歩8分。
開館時間 | 10:00~16:00 |
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料金 | 800円 |
公式サイト | 不明 |
※掲載の情報は2025年3月時点のものです。
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