その太さ日本一?大迫力の巨大スギ『将軍杉』(阿賀町)

新潟県

新潟県の山中に堂々とそびえる将軍杉。無数の株に分かれた迫力ある姿が特徴のスギの巨木です。将軍のような出で立ちからその名がついたと思いきや、もっと違う理由がありました・・・!

訪問日:2024/5/6(月) ※掲載の写真・情報は訪問時のものです

アクセス良好な巨樹

新潟県の阿賀町には、将軍杉と呼ばれるスギの巨木があります。

福島県と新潟県をつなぐ国道49号線沿いにある、とってもコンパクトな「道の駅みかわ」が目印。(※ちなみにこの道の駅、訪問した際は売店などは休業中でトイレのみの小規模タイプでした)

ここから歩く人もいるようですが、上り坂で少々距離があります。ということで細い道を車で進むと、平等寺というお寺が見えてきます。

数台分の駐車スペースがあったので、ここに車を停めさせてもらい、お寺への参拝も済ませたらその先にある森の中へ。

ウッドデッキが敷かれており、すぐにその姿が見えてきます。

圧倒的な存在感

こちらが将軍杉。周囲のスギに比べて何倍も大きなその姿は圧倒的な存在感!高さは約40mもあり、その樹齢は驚きの1400年!!

根本から株が分かれ、それぞれが天にそびえ立っています。奇形とも呼べるその姿は、日本海側の降雪地帯で多く見られる「ウラ杉」ならではの特徴。

将軍杉の幹周りは19.31m。屋久島の縄文杉は幹周り16.4mなので、それよりも大きなスギ。噂によると、スギの中では日本一の太さであるそう。

その昔、この木を切って船を造ろうとしたところ、一夜にして地面に沈んでしまったという伝説も残っているそう。一応確認ですが、沈んだのはスギそのものですよね・・・?

※「幹周り」は地上1.3m地点の太さを示す数字。あくまでポイントの太さなので、根本から株が分かれているこの将軍杉はちょっとだけ有利な気がします。

将軍杉の名前の由来

気になるのは将軍杉の名前の由来。その風格から来ているのかと思いきや、別の由来がありました。

会津藩初代藩主・保科正之は、会津に過去に有力な人物が埋葬されていないかを調べました。すると三川の地に「平維茂(たいらのこれもち)」の墓がある事が分かります。

正之は、儒学者である林鵞峯(はやし がほう)に碑文を作らせ、この杉の傍らにあった平維茂の墓に新たに「鎮守府将軍平維茂碑並銘」を建立。これが将軍杉の名前の由来となったそうです。

今も将軍杉のそばには石碑が建てられています。

風化して文字を読み取ることはできませんが、石碑の前にはかつて刻まれていた銘文が書き起こされています。ちらっと見てみたのですが、難しすぎて全く読めません!!現代語訳は平等寺の落書庵にて販売しているそうです。

余五将軍・平維茂

平維茂が将軍の名前の由来ということはわかったのですが、いったいどのような人物だったのでしょうか。

維茂は平安時代中期の武将。平貞盛の養子になり、15番目の子であったことから「余五将軍」と呼ばれていました。後に、陸奥国に置かれた鎮守府の長官である「鎮守府将軍」も務めています。

そして将軍杉の側に立つ平等寺は、平維茂が阿賀野川で見つけた金色の薬師如来像を安置するために建立されたと伝わっています。

当初は平氏の郎党を弔うとして平党寺と名付けられていましたが、源氏の世となった際に鎌倉幕府をはばかり現在の名になったと伝えられているそうです。

 

日本一のスギと呼んでも差し支えない巨大樹「将軍杉」。屋久島に渡り、往復10時間ものトレッキングを果たさないと会えない「縄文杉」に比べると、非常に会いに行きやすい巨木でした。

なお、将軍杉の周辺には、サルがたくさん!人間とは距離をとっているように感じましたが、食べ物などを持っている際はご注意くださいね。

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