ふるさと文化センターは、島の民俗資料館。八丈島からの入植・開拓の歴史や独自の文化、かつて運行していた鉄道シュガートレインや戦時中の話など、島のディープな部分をたっぷりと知ることができます!

島を学べるミュージアム
朝のフライトで那覇空港から到着した南大東島。レンタカーを借りてさっそく島内めぐりに出発!ぱらぱらと雨がちらついていたので、まずは「ふるさと文化センター」へ。島では貴重な屋内スポットです。

入館料はわずか200円。展示室内には、漁具や民具など、民俗資料がたくさん!明治時代の開拓の歴史や、その後の島の歩みを学ぶことができます。

島についていろいろ詳しくなれるので、最初に訪ねるのがおすすめなスポットです。
様々な民族資料の展示
糸芭蕉の繊維で織った芭蕉衣(バサーヂン)。沖縄の代表的な織物で、木綿が入る前の主流でした。涼しく夏に最適であるそう。

ずらりと並ぶのは相撲の化粧廻し。明治の開拓時代から青年活動の一環としてはじめられていた江戸相撲。現在も、9月23日の豊年祭にて行われています。

島の生き物の剥製も多数展示されています。ダイトウオオコウモリ、オナガミズナギドリなど、内地では見かけない生き物が多数。島に来たからには、ぜひ生で見てみたいですね!

明治の開拓の歴史
この南大東島は琉球王国の島ではなく、明治以降に八丈島出身者によって開拓された島。八丈島とは姉妹島盟約が結ばれており、記念碑も展示されています。

こちらの大やかんは八丈島から伝わったもの。もともとは江戸時代に八丈島に漂着した人から伝わったそう。スタート地点は曖昧ですが、とんでもない距離を旅したやかんですね!

移住民によってもたらされた太鼓や、沖縄では珍しいお神輿も展示されています。八丈島の文化と、沖縄の文化が混じった独自の「大東文化」。それを体感できる展示です。

太平洋戦争の爪痕
そんな南大東島ですが、沖縄の他の島と同様に戦争の舞台となり、激しい戦火にさらされました。
島に駐屯した兵士が使用したものも多数展示されています。ラッパや飯茶碗、食料を入れた食缶などが状態良く保存されています。

こちらは米軍の機銃の弾丸。ダイトウビロウという樹木に撃ち込まれ、木の中に残っていたそうです。

平成27年に発見された不発弾も展示されています。70cmほどという大きさ。処理済みなので爆発することはありません。

こちらの鍋は、終戦直後、砲弾の薬莢を利用して作られたもの。表面はハンダで処理されています。

このアイロンもまた飛行機の残骸のジュラルミンを利用したもの。他にもヤカンや釜などが作られていました。

開拓と土地所有権問題
明治時代に開拓された南大東島は、開拓者・玉置半右衛門による「玉置商会」の所要地に。その所有権は「東洋製糖株式会社」に渡り、さらに合併を経て「大日本製糖株式会社」へと引き継がれていきます。会社所有の島であるため自由に出入りすることはできず、島へ渡る際には「渡島承認証」が必要でした。島内で独自に流通した紙幣「物品引換券」も発行され、独自の経済圏を持つ特異な島であったのです。

農民は玉置商会と交わした「土地の所有権が払い下げられる」という口約を信じて、自力実費で開拓を行います。しかし、管理者が変遷したことからその約束は反故にされてしまいます。
この問題が解決するのは戦後。無償で農民に所有権が認められ、解決へ向かいます。そんな土地所有権獲得へ向けての資料も展示されていました。

この土地所有権問題において活躍したのが、戦後のアメリカ施政権下の沖縄において「琉球列島高等弁務官」を務めたキャラウェイ。強権的な政治介入を行い激しい反発を招いた人物ですが、ここ大東島においては島民の悲願を叶えた人物として評価され、銅像が建立されているのです。

シュガートレイン
製糖会社の島であった南大東島、その運搬のために「シュガートレイン」と呼ばれる鉄道が敷かれていました。

館内では当時の映像のDVDを見ることができ、屋外にはその車両の実物も展示されています。
長くなってきたので、続きは次回に!


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