江戸五色不動に数えられる都内でも有数の古刹。独鈷の滝や多数の石像・石碑など随所に見所が散りばめられています。多く隠れた様々な動物やサツマイモとの関係などユニークなポイントも
目黒不動尊へのアクセス
目黒不動尊は目黒駅から徒歩20分、東急目黒線の不動前駅から徒歩8分のところにあります。この辺りは、蟠龍寺や五百羅漢寺、蛸薬師成就院など、多くの寺院が集まっているエリア。
北側の不動公園からも境内に入ることができますが、南側の仁王門から入った方が雰囲気が良いのでおすすめです。
五色不動の一つ
目黒不動尊の正式名称は瀧泉寺(りゅうせんじ)。大同3年、西暦で言うと808年に創建された歴史の深いお寺です。
慈覚大師こと円仁が比叡山へ向かう途中、不動明王を安置して開いたといわれています。下野国(今の栃木県)出身の円仁は、他にも山形県の山寺(立石寺)や、青森県の恐山など、関東・東北に多くの寺院を開いたと言われている人物です。(円仁が開基のお寺は700を超えており、伝説的な部分が多いようです)
仁王門を抜けると「男坂」と呼ばれる石段が立ちはだかります。少々急に見えますが、段数がそこまで多くないので、あまり苦労せず登れます。男坂の隣には斜面が緩やかな女坂もあります。
登った先にある鳥居は、三角形の屋根が付いた山王鳥居と呼ばれるタイプ。
そもそも、お寺なのに鳥居があることに疑問を持たれる方もいるかと思いますが、この山王鳥居は仏教と神道が融合した神仏習合の象徴とも呼べる鳥居。日枝神社や日吉大社などでも見かけることができます。
鳥居の先には朱色の大本堂。複数の柱でお堂を支えており、「懸造(かけづくり)」のようなスタイル。
この目黒不動尊は、江戸五色不動の1つでもあります。残る4つは、目白不動、目赤不動、目青不動、目黄不動とそれぞれ五行思想の五色を冠している寺院。山手線の駅名にもなっている目黒と目白は知名度が高いのですが、他に3色あることは、意外と知られていないのではないでしょうか。
こんこんと流れる独鈷の瀧
境内には、2匹の龍の口から水が流れ落ちる独鈷(とっこ)の滝があります。円仁が独鈷という仏具を投げたところ、そこから水が沸き出し、現在まで枯れることなく流れ出ているそう。似たような話は伊豆にある修善寺温泉にも伝わっており、こちらは空海が独鈷で岩を割った際に湧き出たお湯が温泉のはじまりともいわれています。
瀧から広がる池には、水中に沈んだお賽銭入れ。10円玉を投げてみたらわりと簡単に入りました!賽銭入れに入らずまわりに落ちているのは一円玉ばかり。どうやら投げる硬貨の重さで難易度が変わるようです。
池の中に立っているのは水かけ不動明王。柄杓で水をかけてお参りするそう。江戸時代にはこの滝を浴びると病気が治ると信仰されておりましたが、現代ではこの不動明王が人々の代わりに水垢離をしてくださります。
仏像・人物像がとにかく多い!
広い境内に様々な見どころが詰まっている目黒不動。中でも目に付くのは石像・銅像の多さ。仏像や人物像など、実に様々な像があちこちに置かれています。
大本堂の裏手には高さ385cmの大きな銅製の大日如来像。大日如来は、密教の中で最高の位の仏様。宇宙そのものであるというとてもスケールの大きい存在です。
背中の日輪や頭上の宝冠など随所に見られる金色があざやか。木々に包まれた姿はとても神秘的です。大日如来は「金剛界」と「胎蔵界」の2パターンが存在していますが、こちらは胎蔵界の大日如来。手の形(印相)で見分けることができます。
女坂の祠には、腰かけた役の行者倚像。役行者(えんのぎょうじゃ)というのは、奈良時代に修験道を開いた人物。高下駄を履き、錫杖を手に持ち木の葉をまとった姿は、まるで天狗のような風格です。
仏像に混ざっているのは二宮金次郎像。像のすぐ後ろには、ひらがなで教えが書かれています。
境内に隠れた動物さがし
ユニークなのは、多数の人物像や仏像に紛れて置かれたたくさんの動物の像。
本堂へ向かう石段手前の右側にはカエルの石像。背中に2匹の子ガエルを乗せています。ついつい子ガエルと書いてしまいましたが、カエルの子供はオタマジャクシなので、背中に乗っているのは子供ではなく小さなオトナでしょうか・・・?
カエルの上にはニワトリのレリーフ。こちらは雄鶏と雌鶏のつがい。足もとには3匹のヒヨコが。
独鈷の瀧を見下ろすようにたたずむイヌ。その足元には仔犬らしき小さなイヌを連れています。親子動物シリーズが続きます。
本堂向かって右側、虚空菩薩像の隣にある石柱の上には黒いウシ。天神様や善光寺にいる撫で牛のような姿ですが、とても触れる位置ではありません。
そして仁王門向かって左側にはゾウの像が!とてもコンパクトで、また目線より高い位置にあるため非常に気が付きにくいです。何か不動明王と関係があるのでしょうか。
青木昆陽の墓
巨大な石のプレート。こちらは甘藷先生記念碑。
甘藷先生というのは江戸の儒学者である青木昆陽のこと。飢饉の際の救荒作物として甘藷(かんしょ=サツマイモ)の栽培を推奨したため、甘藷先生と呼ばれています。
境内にはもちろん石像もあります。サツマイモを手に持った姿が、少しかわいらしい。大本堂の裏手から不動公園沿いに少し歩くと、そこには青木昆陽の墓所もあります。
サツマイモの幟が立った畑もあり、サツマイモを栽培しているようです。毎年10/28には甘藷祭りという行事も開催されています。
日も暮れてきたので、蟠龍寺、五百羅漢寺、目黒不動とまわってきた目黒お寺巡りもここでおしまい。今年は江戸五色不動をめぐってみようかな。
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