誘惑のグルメストリート『おはらい町・おかげ横丁』の意外な歴史(伊勢市)

三重県

伊勢神宮へ向かうおはらい町・おかげ横丁は、屋台や土産物屋が並ぶ誘惑だらけのストリート。フードメニューも絶妙なご当地感が出ているため、とても魅力的です。今回はただの食べ歩き回のつもりでしたが、この町の歴史が非常に面白かったので簡単にまとめてみました!

訪問日:2018/8/6(月) ※掲載内容および写真は訪問時のものです

歴史あるストリート

4日間の伊勢・鳥羽・志摩の旅もおしまい。ラストの伊勢神宮参拝を終えたので、あとは帰りの時間までのんびりとおはらい町を散策することにしました。

ここは伊勢神宮・内宮の鳥居前町として栄えた町。現代においても多くの飲食店やお土産屋がずらりと並び、参拝に訪れた観光客で大にぎわいです。

三角屋根の切妻造り建築が並ぶ街並みはとても趣があります。古来よりその景観を守ってきたのでしょうね・・・と思ったのですが、実はそうでないとのウワサ。詳しくは最後に書きますので、まずはおはらい町のいろんなグルメをご紹介させてください!

エンドレスの食べ歩き

さて、立ち並ぶ飲食店が胃袋を誘惑してきます。今日は朝ごはんを食べていないのでとにかくお腹が空きました!何食べようかなー?

タライに入った涼しげなサイダーやお茶たち。今日はとっても暑い日なので、喉が水分を欲しがってます。

お腹は空いたのですが、喉も渇いた・・・・そんなときは豆腐庵 山中「豆乳シェイク」。豆乳の旨味を感じる優しい甘さで癒されます。他にも「おとうふソフト」や「うの花ドーナッツ」など、いろいろなメニューがあります。店内のベンチで食べることができますので、日差しが強くても大丈夫!ちょっとひと休みにもぴったりです。

さて、次はしょっぱいもの食べたいな!ひたすら美味しい煙を出しているのは串焼きのお店・内宮前誠実屋

松阪牛もとっても美味しそうなのですが、ここはあえての変化球「マンボウ串」に挑戦!

マンボウが多く水揚げされるこのエリアならではのご当地串焼き。気になるお味ですが、とってもさっぱりした白身魚といったイメージ。満遍なく振られた黒胡椒が良いアクセントになっています。

そんな街並みを歩いていると、唐突に現れる大きなモノ。これはなんとマンボウの干物・・・・!!!いきなり登場するマンボウにびっくりです。そして、お値段はもっとびっくりの500,000円!!!これまでに購入した人はいるのでしょうか?

さて、次は甘いもの食べたいな!まずい、これはエンドレスの予感・・・・

伊勢といえば赤福

お金的にも時間的にもほどほどにしたいので、次で終わりにしよう。目に入ったのは赤福。おはらい町の赤福では、夏場は「赤福氷」を食べることができるのです。

赤福氷って何だろう?赤福味のかき氷?その実態は、抹茶のかき氷の中にあんことお餅が入ってます。ひんやりとした和スイーツはたまらない美味しさ。

お店の前には畳敷きの座席もあります。ゆっくりと休みながら食べることができるので頭キーンにならずに食べることができます。

なお、赤福氷は販売店舗が決まっています。また、販売期間も店舗ごとに設定があるよう。気になる方は、公式HPで調べてからの訪問がおすすめです。

うーん、満足したのでそろそろ食べ歩きは終わりにしますね。

おはらい町の苦難

さて、おはらい町の楽しさをお伝えしたところで、ここで少しこの町の歴史を紹介させていただきます。

古来より多くの人に信仰されてきた伊勢神宮ですが、その人気に火が付いたのが江戸時代。伊勢神宮への参拝である「お伊勢参り」は一大ブームとなり、日本各地から多くの人々が伊勢を目指すようになります。宇治の町には全国をまわり伊勢信仰を広めた御師(おんし)の家が立ち並び、実際にお参りに訪れた人の宿泊や観光を世話、お祓いや神楽でもてなしたことから「おはらい町」と呼ばれるようになりました。

江戸時代には各地に「関所」が設けられており、庶民がここを抜けるための手形を入手するのは非常に困難でした。しかし、お伊勢参りが目的の場合は簡単に手形が入手できたそうです。また、参拝者に無料で食事や宿を提供する「施行(せぎょう)」を行うと徳を積むことができるといわれており、盛んに行われていました。その結果、参拝者はあまりお金を持たずともお伊勢参りができたそうです。

昭和に入る頃には、おはらい町は近代化の波を受けて歴史的な家屋は減少。まちとしての魅力がどんどん失われていくことに。

高度経済成長期に入ると、バスで伊勢神宮に訪れ、またバスに乗り鳥羽や志摩へと行く観光コースが一般的に。すると、それまでのにぎわいが嘘のように、人々はおはらい町に寄ることがなくなってしまいます。当時は「日本一滞在時間の短い観光地」と揶揄されるまでであったそうです。

復活への道のり

そんなおはらい町の危機に立ち向かうため、赤福社長が立ち上がります。伊勢市・三重県と協力し伝統的な街並み復元に動き出し、新しい町づくりへと挑戦をはじめます。

電線は地中へ埋め、道路には石畳を敷き、景観を整備。お店はもちろん、民家や郵便局などほぼすべての建物の通りに面した部分を、江戸時代の建築様式である切妻造(きりつまづくり)へ建て替えます。

それまでの近代的な町並みは、徐々に江戸の面影を感じさせるノスタルジックなまちへと変化。わずか10年で古き良き街並みの景観を作り上げたそうです。

てっきり日本各地に残る「伝統的建造物群保存地区」のような歴史を今に伝える場所かと思ったのですが、このような波乱万丈のストーリーがあったのですね!

こういうストーリーを書くと、「ハリボテだったのか・・・」とがっかりされる方もいるかもしれません。しかし、伝統を残したまま新しい建物に替える、というのは伊勢神宮の式年遷宮と同じ精神。建築の歴史を味わうよりも、人々が本気で作り上げた町ということを踏まえて散策してみると、より一層楽しめるはずです。

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