平城宮跡歴史公園 Part 2 巨大な大極殿と木簡の凄さ(奈良市)

奈良県

広大な敷地に史跡や復元建築、史料館が点在する平城宮跡歴史公園。メインとなる「第一次大極殿」を中心に「遺構展示館」「平城宮跡資料館」をめぐります。所要時間2時間ほどで、奈良時代をたっぷり堪能してきました。

訪問計画は、こちらのPart 1 にまとめてあります。

平城宮跡歴史公園 Part 1 見どころたっぷりの広大な史跡公園(奈良市)
奈良の都・平城京の中心、「平城宮」の跡が残る歴史公園。とにかく広い園内には、復元された建築や、様々な資料を展示するミュージアムが点在。かなりボリュームがありますので、事前にある程度下調べしてからの訪問がおすすめです。
訪問日:2023/5/7(日) ※掲載の写真・情報は訪問時のものです

遺構展示館

まず最初に向かったのが遺構展示館。広い無料駐車場を備えていますので、車で巡る際のスタート地点としてもおすすめの施設です。

こちらは内裏正殿の模型。天皇が日常の政務を執る場所であり、ヒノキの板を重ねた檜皮葺の屋根・掘立柱建物という日本古来の建築様式で造られています。平城京の歴史において内裏は3時期に分かれており、この模型は中期にあたる建築であるそう。

巨大な丸太。何かの柱かと思いきや井戸枠であるそう。直径1.7mのスギの巨木をくり抜いて枠としてはめていたようです。

館内には遺構露出展示があります。こちらは掘立柱の柱穴跡。よく見ると、いくつもの柱穴が重なるように空いています。その様子から、建物が何度も変遷してきたことを読み解くことができます。

推定宮内省

遺構展示館を出ると、すぐ目の前に朱色の門。ここは推定宮内省と呼ばれる場所。天皇家のために仕事する宮内省関係の役所であったと考えられており、東西約50m南北約90mに6棟の建物が建てられていたそうです。

紋をくぐると、復原された建築が並びます。内部に入ることはできませんが、外から中を覗けるようになっております。

土間に置かれているのは、机とイス。とっても現代的なデスクスタイルで仕事をしていたことにちょっと驚き!この机は、正倉院宝物の「多足几(たそくき)」を参考に復元したそうです。

内裏跡

遺構展示館・推定宮内省から第一次大極殿へ向かう途中にあるのが内裏跡。柱跡には柱に見立てた植え込みがあり、建物の規模を感じることができます。

ここには復元された井戸があります。さきほど遺構展示館で見たスギの巨木は、もしかしてこのような井戸にはめ込まれていたのでしょうかね。

第一次大極殿

この平城宮跡において最も見応えのあるのがこちらの大極殿。正確には第一次大極殿を復元したものです。

ここは天皇の即位や儀式を行う重要な場所。平城宮跡の整備事業の一環として平成13年度より復元、平城遷都1300年にあたる平成22年に完成しました。

その建築様式は、日本式ではなく中国式。当時最先端であった中国にならって造り上げており、外国から賓客を招くことも想定していたそうです。

こちらは高御座(たかみくら)という、国家儀式の際に天皇が座った玉座の模型。その後の平安京にも置かれており、現在は京都御所の紫宸殿にあるそうです。

大極殿の中に入ったら、注目したいのが壁画。日本画家の上村淳之さんが手描きで仕上げたという、四神と十二支、更に無数の蓮の花が内壁を彩ります。

ここ大極殿には「ボランティアガイド」の方が常駐しており、いろいろと教えてくれます!

大極門

大極殿と朱雀門の間に建つのが大極門。こちらも復元された建築がそびえ立ちます。

こおを抜けて大極殿へと進みたかったですが、門は通り抜け不可。大極殿を真正面から見ることができるので、ビュースポットとして最適です。

大極門のそばには、シートで包まれた足場が組まれています。こちらは現在復元中の「東楼」。2025年11月完成予定であるそうで、階段を登ってその作業の様子を見学することができます。

ここ大極門にも「ボランティアガイド」の方が常駐しており、いろいろと教えてくれます!!

平城宮跡資料館

今回最後に訪れたのが平城宮跡資料館。しっかりとしたミュージアムで、発掘調査により出土した品々や模型が多数展示されています。

内裏における天皇の生活についても知ることができます。こちらは復元された天皇の寝室。奈良時代にして、既にベッドスタイルであったことに驚きです。

こちらは再現された貴族の食事メニュー。様々な食材が並ぶ中、目立つのは牡蠣、アワビ、車エビといった海鮮素材。海が近かったため、海産物は豊富であったようです。ちなみに、庶民は塩、玄米、青菜であったそう。現代よりもずっと食事の格差は大きかったみたいですね。

この資料館で注目は木簡のレプリカ。奈良時代は紙が貴重であったため、このような木簡を書類として扱っていました。

「木簡からやがて紙に変わってゆくんだな~」くらいに思っていたのですが、この木簡というのが当時の暮らしぶりを知る上で超重要なのです。

紙を書類として使用するようになる平安時代以降、その記録は重要な書物でもない限りはもうほとんど残っていません。しかし、紙に比べて劣化しにくい木簡は、1300年が経過した現代においてもその姿をとどめております。

「犬の餌を支給する」という記録や人のかたちに描かれたものなど、それほど重要なわけではなさそうなものも残っているため、当時の様々な様子を読み解くことができるのです。

なお、木簡の最後はトイレットペーパー代わりとして使用され、埋められていたそう。そんなこともわかってしまうのです。

ここ平城宮跡資料館にも「ボランティアガイド」の方が常駐しており、いろいろと教えてくれます!!平城宮跡歴史公園はあちこちにガイドさんがいるため、本気で何も知らない状態で訪れてもわかりやすく解説してもらえるのです。

復元はつづく

このあたりでタイムオーバーとなったので、車を停めている遺構展示館へと戻ります。

最後にちょっとだけ尺があまりましたので、平城宮復元の歴史について。この平城宮跡、発掘調査が行われると想像以上に広いことがわかります。遺跡を避けるため当時建設予定であったバイパスは迂回する必要に迫られることに。地図でみてみると、不思議なカーブを描いている様子を見ることができます。実は近鉄奈良線も遺跡の中を通っておりますが、発掘調査より前に建設されたためセーフであったそう。

先ほど大極門のところでも書きましたが、現在は「東楼」が復元中。東楼のあとは「西楼」、その次は「築地回廊」と大極殿を取り囲むように復元を進める予定であるそう。全て仕上がるのに20年はかかるとのことです。

現在の大極殿の後ろにもその復元建築が広がって行く予定ですが、大極殿の真後ろには道路が通っておりバス停まで設置されています。

今後、道路は存続されるのか、それとも移設されるのかは未定とのこと。復元されていく姿とともに、どのような対応になるのか気になるところです。

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