造山古墳のそばに立つ千足(せんぞく)古墳。陪塚ではありますが、ハニワが並ぶ墳丘や、公開されている石室、不思議な直弧文など見どころは多数。見ごたえのある古墳なので、造山古墳に訪れたら合わせての訪問がおすすめ。
立派すぎる陪塚
大型古墳の周囲には、それに付随するように家来などを埋葬した「陪塚」と呼ばれる小型の古墳が築造されていることがあります。
国内第4位の規模を誇る造山(つくりやま)古墳にも、陪塚が6基確認されています。そのうち第5墳である千足古墳は5世紀前半に築かれた前方後円墳。墳丘長81m。後円部直径63m、前方部の幅は26m。墳丘長360mという巨大な造山古墳と比べると小さく見えますが、かなり立派な古墳です。
2010〜2014年に発掘調査が行われます。墳丘が復元され、2023年4月に公開が開始されました。
ちなみにですが、「陪塚」って「ばいちょう」と読むんですって!ずっと疑いもせずに「ばいづか」だと思っていました。もしかして他にも知らずのうちに誤読している古墳用語があるかもしれません。
復元された墳丘
墳丘は整備されており、階段が設置されています。後円部を登ってみると、ずらりと並んだ円筒埴輪のお出迎え。
後円部の最上部からは、造山古墳や他の陪塚も見渡せます。先ほど登ったときも山にしか感じませんでしたが、離れて見ても山にしか見えませんね。
前方部が短いので帆立貝形古墳とも呼ばれています。「後円部は祭壇」という話を耳にしたことがありますが、この形状で埴輪が並んでいると非常にイメージしやすいです。
様々なカタチの埴輪
並んでいるのは円筒埴輪だけではありません。手前が蓋形(きぬがさがた)埴輪、奥が家形埴輪と呼ばれるタイプ。
家形はわかりますが、「蓋形」って何でしょうか?調べてみたところ、「蓋」は身分の高い人に差す傘のことであるそう。上部の板は飾りで、その下が傘の形を成しています。
これまた不思議な埴輪を見つけました。こちらは靫(ゆき)形埴。またも見慣れない言葉ですが、「靫」というのは矢を入れる容器であるそう。言い換えるならば「矢筒」ですね。
公開された石室
この古墳には横穴式石室が2基あることがわかっています。そのうち第1石室は見学可能。(時間:10:00〜15:00/休:月曜、年末年始)。
内部はキレイに整備されております。設置されたディスプレイには、安山岩を積み上げた玄室の映像が流れています。
石室の奥を覗くと、石の壁に囲まれたスペースをちらっと見ることができます。こちらは「石障」と呼ばれる仕切り石の複製。
石材として利用されているのは、熊本から運ばれた天草砂石。他にも、九州の古墳と共通点多く見つかっているそう。
これは吉備国と九州地方の間で交易が行われていたことを物語ります。一説によると、吉備国の支配が西日本全域に及んでいたとも考えられているそうです。
不思議な直弧文
この石障に刻まれているのは不思議な文様。こちらは直線と帯状の弧線を複雑に組み合わせた「直弧文」という珍しい文様。
直線による✕と、それをつなぐ弧が印象的なデザイン。さきほどの靫形埴輪にも、その文様は刻まれていました。
ここ以外では、熊本県の「鴨籠古墳」の石棺蓋や「井寺古墳」の石室、福岡県の「浦山古墳」の奥壁や「石人山古墳」の石棺の蓋にも刻まれています。
九州で流行していた文様かと思いきや、大阪府の「紫金山古墳」でもその姿を確認できます。ただし、こちらは石室ではなく出土した貝輪という装飾具。九州で造られたものが大阪まで渡っただけの可能性もあります。
きっと、他にもこの文様が刻まれている古墳はたくさんあるはず。今後、古墳をめぐるときは意識して探してみようと思います!
アクセスと駐車場情報
専用の駐車場はありませんので、造山古墳ビジターセンターに車を停めて歩くのがおすすめです。
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