立ち並ぶ巨大卒塔婆群が圧巻の古刹『金剛證寺』(伊勢市)

三重県

伊勢志摩スカイライン上に建つ臨済宗の寺院。歴史ある建築や苔の庭園などの見どころに加えて、特筆すべきは奥之院参道に並ぶ卒塔婆群。通常とは比較にならないほど大きな卒塔婆が立ち並ぶ姿は圧巻です!

訪問日:2025/2/25(火) ※掲載の写真・情報は訪問時のものです

長い歴史を持つ寺院

伊勢志摩スカイライン上にある金剛證寺(こんごうしょうじ)へ。前回の朝熊山頂展望台のすぐ隣にあります。

その創建は古く、6世紀半ば頃と伝えられています。9世紀には空海によって堂宇が造られ、その後14世紀末には仏地禅師・東岳文昱(とうがくぶんいく)によって再興。その際に真言宗から改修し、臨済宗の寺院となりました。

神道と仏教が混じる神仏習合の時代には、伊勢神宮の鬼門を守る寺であり、神宮の奥之院とも呼ばれていました。

立派な仁王門は、昭和54年(1979年)に再建されたもの。左右に安置されたは仁王像は白眼が大きく、比較的穏やかな表情に感じます。

広々とした境内

山中の寺院ですが、境内はとっても広々としています。仁王門の先に広がるのは連間(れんま)の池。空海が掘ったと伝えられる池です。池には朱塗りの太鼓橋である連珠橋が架かっています。

連間の池のそばに広がるのが庭園。 寛文12年(1672年)に造られたものです。一面を覆いつくすグリーンの苔に情緒を感じます。

5代将軍徳川綱吉の母である桂昌院が寄進したという矢負地蔵堂。 その前にあるのが厄除六地蔵尊。持ち上げて一度置き、左へ3回まわして真言を唱え祈願。再度持ち上げた際に軽く感じれば願いが成就するといわれています。いわゆる「重軽石」タイプのお地蔵様ですが、1回目と2回目で重さを比べるのが独特なポイントです。

立ち並ぶ堂宇

茅葺き屋根が立派な本堂。慶長14年(1609年)に姫路藩初代藩主・池田輝政の寄進により再建されたものです。

本尊は「福威智満 虚空蔵菩薩」で、日本三大虚空蔵菩薩の第一位であるそう。加えて天照大御神を現す「神鏡」も祀られており、神仏習合の形式が残されています。

本堂の前に横たわるのは福丑。さわることでご利益があるという牛ですが、頭をよく見ると小さな大黒天が乗っています。

本堂の先にある明星堂。伊勢神宮の鬼門除けのために明星天子を祀るお堂です。「明星」は日月星の三文字からなるため、三光天子とも称されているそう。たしかに、漢字をバラしてみると、この3つで構成されてますね!

巨大な卒塔婆

境内の奥にあるのが極楽門。くぐれば極楽浄土に往生できるというこの門の先に、奥之院があります。「こんな山の中の寺院の奥の院って、めっちゃ遠いのでは」と思ったのですが、徒歩5分ほどの距離なので気軽に参拝できます。

この奥之院への参道が、この寺院最大の見どころ。道の両側にはお墓に建てる木の板「卒塔婆(そとば)」が立ち並んでいます。

大きすぎませんか!?

一般的な卒塔婆というのは150cm~180cm程度ですが、ここの卒塔婆は2mから8mにも及ぶ大きさ。それが両サイドにびっしりと並んでいるのは壮観です。

たどりついた奥之院

卒塔婆の先にあるのが奥之院。延命子安地蔵菩薩を本尊とした本堂が建っています。

なんと、卒塔婆の見本も立てられていました!大きさ毎に志納金が定められており、その金額は3万円~50万円。巨大卒塔婆を見た際に、いったいどれくらい納めるのか気になっていたのですっきりしました!

奥之院の極楽門の近くでは、卒塔婆を作っているところもちらっと見えました。

写真は撮っていないのですが、ちょうど卒塔婆を立てる瞬間も見れました!大きな卒塔婆はトラックで運ばれ、ショベルカーで土を掘って立てていました。作るのも立てるのも非常に労力がかかっているようです。

さてさて、最後の一枚はこちら。仁王門の手前に安置されているお地蔵様、その名も「おちんこ地蔵」。子宝を授けてくださるありがたいお地蔵様ですが、ネーミングがコミカルすぎます・・・!

アクセスと営業情報

本堂拝観時間 9:00~15:45
料金 無料
公式サイト https://www.iseshimaskyline.com/kongoushouji/

※掲載の情報は2025年2月時点のものです。最新情報は公式HPにてご確認ください。

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