太古の昔である旧石器時代から現代にいたるまで、綿々と続く人類の歴史を展示したミュージアム。県内の遺跡から発掘された出土品や、中世の武蔵武士の活躍、さらにはノスタルジックな昭和の展示など、様々な時代に関する展示品が所せましと並んでいます。
大宮公園にある博物館
武蔵国氷川神社の裏、大宮公園の北西にある埼玉県立歴史と民俗の博物館。埼玉県立博物館を前身に、2006年にオープンした歴史ミュージアムです。
建物は1971年に竣工した旧県立博物館を引き継いでいます。設計を担当したのは、建築家の前川國男。ル・コルビュジエ、アントニン・レーモンドのもとで建築を学んでおり、日本近代建築の礎を築いた人物です。
そんな近代建築の隣には再現された弥生時代の住居。博物館のまわりからは縄文〜弥生時代の住居跡が発見されており、大宮公園内遺跡と呼ばれています。
古代ロマンがたっぷり
展示室は旧石器時代から始まります。県内各地の遺跡から出土した石匙や石斧などの石器、そして土器がずらりと展示されています。
たくさん並んだ土偶たち。縄文時代に埼玉県内各地で造られたものですが、デザインはばらばら。にっこりした表情のものや、驚いたような顔のものなど、コミカルで面白い。
ハニワもたっぷり。中でもインパクトがあるのがこちらの人物埴輪。女性をモチーフにしており、椅子に座って足をぶらりと垂らしています。顔は真剣な表情なのですが、手足が短いためちょっと可愛らしい。袈裟懸けという、少し変わった衣服もポイントです。
こちらの大きなジオラマは金崎古墳群大堺3号墳の石室。薄い結晶片岩を積み上げられているため、内壁はまるでボーダーの壁紙を貼ったようなデザインになっています。
中世の武家社会
時代は進み武士の世の中へ。埼玉県内でも、武蔵武士と呼ばれる多くの人物が活躍しました。
吹き抜けのホール空間に並べられているのは、板碑(いたぴ)。武蔵武士たちが亡くなった者への供養、そして自分自身の供養を生前に行う逆修供養の目的で作られたそう。板碑は全国で見ることができますが、埼玉県内では非常に盛んに造られており、その数はなんと27,000基にも及ぶそうです。
江戸時代末期の川越城のジオラマ。中央の大きな建物である本丸御殿は、今でも現存しています。数多くの城があった武蔵国ですが、江戸幕府成立以降に残されたのは川越城・忍城・岩槻城の3つのみ。この三城は戦略的に重要であったそうです。
武蔵国には江戸からはじまる中山道や日光道、東海道や甲州道と多くの街道が通っていました。そのため、街道沿いは宿場町として発展していきます。こちらの笠をかぶったマネキンは、街道をぬける旅人の装いを再現したもの。時代劇で馴染み深い服装ですね。
ノスタルジックな昭和
最後は明治~現代までの展示室。ここでは昭和の家電が勢ぞろい!ダイヤル式の白黒テレビ、氷を使った木製の冷蔵庫、木でできた大きなラジオなど、懐かしい雰囲気のものがずらりと並びます。
横たわる大きな筒は、米軍の不発弾。1945年8月の熊谷空襲の際に投下されたもです。軍需工場が集まっていた熊谷は、埼玉県内で最大規模の空襲が行われ、多くの民間人の命が奪われました。その日は8月14日の深夜。日本の降伏があと一日早ければ、この空襲は回避できていた可能性があります。また、逆に降伏が1日遅れていたら、さらに何万人もの命が奪われていたかもしれません。この時期の一日の重みは、現代とは比べ物にならない気がしますね。
こちらは1988年に熊谷市で開催された「さいたま博覧会」のマスコットキャラ・サイターマン。非常にシンプルながらも奥深いデザインで、妙に記憶に残ります。鼻の下が長いのでちょっと間延びした表情なのが、ゆるくて良いですね!
アクセスと営業情報
東武野田線(アーバンパークライン)の大宮公園駅から徒歩5分。武蔵一宮 氷川神社からは徒歩10分ほどなので、参拝と合わせて訪問するのもおすすめ。
途中には無料とは思えないクオリティの小動物園などもあります。
開館時間 | 9:00~16:30 |
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休館日 | 月曜、年末年始 |
料金 | 常設展:300円 |
公式サイト | https://saitama-rekimin.spec.ed.jp/ |
※掲載の情報は2022年1月時点のものです。最新情報は公式HPにてご確認ください。
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