杉の巨木が立ち並ぶ参道を歩く高野山奥之院。名だたる戦国大名の墓所や、個性的なお地蔵様など、参道沿いには見どころがたっぷり。最奥にある御廟では、今でも空海が瞑想を続けています。
3つの川を渡る参道
高野山奥之院といえば、ながーい参道!約2kmにわたる道は、一の橋からスタート。樹齢数百年と思われる巨大な杉の木立や、苔むした石灯籠が並ぶ中を進んでいきます。
ちょうど中盤にあるのが中の橋。正式名称を「手水橋(ちょうずばし)」といい、かつてはこの下を流れる川で身を清めていたそう。
一の橋から奥之院の入り口となる御廟橋までは徒歩で片道30分程度かかります。数字だけ見るとなかなかハードに見えますが、道は平坦で歩きやすいため、それほど大変ではありません。また、参道沿いにも見どころが多いので気持ちも楽です。
戦国武将が眠る道
参道には墓石や、祈念碑、慰霊碑などが多く並びます。その数はなんと20万基以上とのこと。
そんな中で、観光客の目を引くのは有名な戦国大名たちの墓石。こちらは関ヶ原の戦いでは西軍を率いて戦った豊臣家の家臣・石田三成の墓所。400年以上経った今でも、毎年Twitter上で関ヶ原の戦いを開催しているため、よく話題にあがります。
麒麟がくるで話題となった明智光秀の墓所。五輪塔ではなく、四角い墓石が建てられており、他の武将とは異なる姿。何か理由があるのかな、と思って調べてみたところ、光秀の墓所はこの正面の墓碑ではなく、向かって左にある五輪塔とのこと。これは、ほとんどの方が勘違いしてしまうのでは。
豊臣秀吉を筆頭とした豊臣家の墓所。参道から一段高い位置にあり、少し特別感があります。他の武将とは異なり、家族一同が並んでいるのが秀吉らしいです。
織田信長の墓所。戦国時代に武装化していた高野山と信長は敵対関係であったはずなので、少し意外・・・!敵も味方も無い、という考えなのでしょうか。参拝に訪れる人は多く、供えられた鬼ころしに妙に納得してしまいました。
なお、戦国武将の墓というのは日本各地に複数存在している場合が多いです。これは、骨を埋めた場所だけでなく、慰霊碑や供養施設も墓と呼ばれているため。ここに挙げた武将たちの墓も、高野山だけでなく別の場所にも存在しています。
ユニークなお地蔵様
そんな戦国大名の墓石に隠れて並ぶ多くのお地蔵様も見どころの一つ。草木と同化し、自然に溶け込むような姿のお地蔵さまは、なんとも風情があります。
参道を少し外れたところで見かけた、全身が苔に包まれたお地蔵様。人気の無い場所で静かに坐する姿は、威厳を放ちます。
こちらのひときわインパクトのあるお地蔵様はお化粧地蔵。お参りの際にメイクを施すと願い事が叶うといわれているため、アーティスト感あふれるルックスとなっています。メイク道具は供えられていなかったので、持参するのが良さそうです。
他にも、木の洞(うろ)の中に隠れるように置かれていたり、切り株にちょこんと座っていたりと、あちこちに様々なお地蔵さまがたくさん。お地蔵様探しだけでも、かなり楽しめる参道です!
弘法大師御廟
参道を奥まで進むと少し開けた場所となり、御朱印がいただける御供所や護摩堂が見えてきます。休憩所やトイレもあるのでひと休みすることも可能。
参道の最後にあるのがこちらの御廟橋。
橋の裏側には梵字が刻まれており、水面をのぞき込むとうっすらと浮かび上がる様子を見ることができます。御廟橋から先は霊域となるため、写真撮影は禁止。脱帽し、服装を正してから進みましょう。
御廟橋の正面に見えているお堂は、ぼんやりと幻想的に輝く燈籠が並ぶ「燈籠堂」。堂内では消えずの火として4つの燈籠が燃え続けています。
そして、燈籠堂の奥には御廟があります。今でもこの地で空海は祈りを続けているそう。
早朝がおすすめ
参道自体はいつでも歩くことができ、また燈籠堂は通常6:00~17:00まで開堂しています。金剛峰寺や壇上伽藍の金堂&根本大塔は通常8:30~17:00に開門となるため、高野山に早朝訪問した場合は、この奥之院から参拝するのがおすすめです。
さらに、御廟にて瞑想を続ける空海へ食物を届ける「生身供(しょうじんぐ)」という儀式も行われています。6:00と10:30の1日2回なので、早朝に向かうと6:00の回を見学することができます。
この生身供のルートは御供所から燈籠堂までとのこと。参道の奥にあるため、6:00の回を見るには5:30くらいには歩き始めておきたいです。
4記事に渡って書いてきた高野山ですが、今回めぐったのは超メジャーな箇所のみ。調べれな調べるほど、色々な見どころがみつかり、その懐の深さを感じます。次はぜひ宿坊に泊まってみたいですね~。
①金剛峯寺、②壇上伽藍、③奥之院のアクセス情報などは以下の記事にまとめました。
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